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おろち

みなさんは楳図かずお先生の「おろち」という漫画はご存知でしょうか?
漫画が描かれたのは1969~1970年と古いものですが、一度2008年に実写映画化もされています。
楳図かずお先生といえば、「漂流教室」や「まことちゃん」あたりが有名ですが、「おろち」も隠れた名作です。(隠れてはないかもですが笑)
「おろち」の概要ですが、年を取ることがない不思議な力を持つ美少女「おろち(タイトルは主人公の名前だったりします)」が、数奇な運命をたどる人を見つけて、その人生を長い時間かけて見届けるといったお話です。
オムニバス形式で、一話ごとにさくっと読めます。
さくっと読めるといっても内容は結構重めです。
おろちがこの人だと決めて、追いかける人物はだいたい不幸な生い立ちです。
たとえば、18歳の誕生日を迎えると化け物のように醜くなってしまう美人姉妹だったり、
殺人現場を目撃してしまったけど嘘つきで有名なために大人に訴えても誰も信じてくれずひたすら命を狙わてしまう男の子だったり、名家に生まれながらも姉妹で常に優劣をつけられ悲しくも歪んでしまった妹だったり…と設定がすでに重い(笑)
これらもともと不幸な生い立ちや環境にいるおろちに観察される人たちを中心に、またさらに大きな事件が起こります。
重い上に結構怖いです。
怖いといってもお化けとかそういうのじゃなくて、いわゆる「人怖(ひとこわ)」系です。
嫉妬や復讐心などの人の醜さや心に潜む闇にフォーカスされています。
あとは個人的に昔の作品なので、今とちがう昭和の雰囲気が好きです。
服装や文化、言い回しなんかもちょっと今と違うので新鮮です。
まだ読んだことがないというかたはぜひ!!オムニバス形式なので読みやすいですよ。

人魚の伝説

私は好きで「ちいかわ」の漫画連載をX(旧Twitter)で読んでいるのですが、3月ごろからずっと連載している通称セイレーン編が今話題になっているのをご存知でしょうか。

最近ではそのクライマックスを迎えており、不定期の更新が待ち遠しくて仕方ないのです。

物語の顛末は、実際にXでナガノ先生の連載を読んでいただくとして、その中で話題になっている人魚、もとい八百比丘尼伝説について様々な考察がなされていて私も興味を持ちました。

八百比丘尼(やおびくに)とは伝説上の人物で、人魚の肉を食べて不老長寿を手に入れた比丘尼のことです。北海道と九州南部以南を除くほぼ全国でその伝承が残っていると云われ、地域によっては伝承の細かな部分や呼び方なども変わるようです。

なぜ八百という数字が付くか、と言えば、様々な伝承がある中で共通しているのが、彼女が800年の時を生きた、という点からでしょう。

その後の彼女の行方も様々で、若狭の国で入定(僧などが断食の修行の末に魂が永遠になること、岩窟などの密室に籠り長い瞑想に入ったように入寂すること、つまり僧が亡くなること)したと云われることも、千年生きたと云われることも、千年のうち二百の寿命を人に譲り入寂したとも云われることもあります。

室町時代にはこの伝承を利用した旅芸者や歩き巫女がいたり、布教活動に利用されたりしてたのではないか、という記述も見かけたので、様々な地で伝承が残っているのはこういう背景もかかわっていそうだなと一人で膝を打っていました。

調べれば調べるほど奥深いというか、地域に根付いた伝承というのはとても面白いなと実感します。

さて、実際のところ、ナガノ先生がどこまで考えられてちいかわを描いているのかはわかりませんが(笑)こういった話題提起がされることも多いのでついつい注目してしまいますね。

本日の更新も(あるかわかりませんが)楽しみなところです。とうなっちゃうんでしょう……ちいかわ……

ひぐらし

ゲームってあまりやらないし、アクション系は下手くそなので苦手意識がつよいのですが、ファンタジーは好きなのでRPGは少しだけやったりします。
あとはやっぱり読書が趣味なのでノベル系のゲームは好きです。サウンドノベル系っていんですかね、テキストを読みながらイラストやBGM、効果音がつくゲームははじめ衝撃でした。名前変換機能があるものも、自分がゲームの主役になったみたいな一体感があって、すごく楽しかったのを覚えてます。
一時期、話題となった「ひぐらしのなく頃に」というゲームをやっていたことがあります。こちらもゲームといっても、ほとんどテキストを読むだけなので、ビジュアルとサウンド付きの小説を読んでいるのとあんまりかわらず、操作に苦戦するということもなくて楽しかったですね。
グロテスク要素や残虐性が強く、そのことで話題になっていたので「そういった」作品なのかなと思っていたら…そこがテーマの作品ではなかったんですね。今までずっと勘違いをしていました。
ミステリー要素と考察する要素があって、そこもすごくよかったのですが、一番のメインとなるテーマが「仲間と協力して困難へと立ち向かう」という胸が熱くなるいうもので感動しました。序盤読んでいるとホラー作品なんですけど、すべて読み終えると青春SF系感動モノへと変わります。お見事。
よく聖地巡礼という言葉が使われますが、私も作品の舞台となった雛見沢のモデルとなった白川郷へ行きたくなりました。

本とお鍋と私。

1つ前に書いた小説は、あの記事を書いてからそう時間も経たないうちに読み終わってしました。大事に大事にって言っていたのですが続きが気になって全然我慢できませんでした(笑)
今は同じ作者さんの別の小説を読んでいます。短編集なのですが、これもまたすごく面白いです!長編特有のハラハラドキドキして続きが気になる~って感じではないのですが多分この人の文章や着眼点が私好みなのか読んでいてとっても楽しいです。短編集ってブレーキかけられるのがいいですね。前回はつい真夜中まで読んじゃうこともあったので寝不足気味でした。1つ物語を読んで満足感いっぱいで休憩できるのですごく読みやすいです。あといくつもストーリーを読めるのでなんかお得感?あるかも(笑)
もう読み終わるので週末あたりにまた図書館へ行ってきます。シリーズものなので次巻も借りようっと♪それからお鍋のレシピ本も有れば借りたいな。毎日寒すぎてお鍋ばかり作ってしまいます。温まるし、しっかり栄養とれるからお鍋考えた人は天才です…!でもそろそろちょっと変わったアレンジ鍋を食べたい…
好きな本を読んで、何食べようかなって考えてる普通な私。幸せ者だなぁと思います。平和が一番。

可愛いが詰まった幸せを運ぶ本

「可愛い」には一言では表現することが出来ないくらい、たくさんのことが詰まっています。例えば動物を見た時の印象であったり、ファッションセンスが抜群にいい女の子であったり、好きな人の仕草であったりと、ここに全てを書くことができないくらい、日常に満ち溢れているのです。その背景には、愛着や好きという気持ちが隠れている気がしているため、私はこの言葉をとても大切に使うようにしています。
さて、先日「キュート」が凝縮された本を読みました。なぜなら古今東西の作家や詩人達の選りすぐりの可愛い作品を集めたものだったからです。動物が主役のものや素敵なシニアが登場する小説、日常の事柄をささやかに書いた詩や歌が載っていて、本を手にすることが楽しみになる作品でした。また電車の中や就寝前に読んでいると、心が満たされて幸せを感じることができました。それはこの書籍の監修をした女性の幅広い目線で収集されたキュート達は、どれも味わい深くて胸がキュンとするものばかりだったからかもしれません。そのため読み終えた後は、何だかとても寂しくて、印象に残った作品達を再度読み返したほどでした。この余韻に浸りながら、これからも「可愛い」と感じること達にたくさん出会いたいという強い気持ちでいっぱいです。

ホンモノとニセモノと

今読んでいる書籍に興味深いことが書かれています。古道具屋は本物と偽物を区別するために毎日本物だけを見る修行をするそうです。何年も修行を続けることで偽物をひと目で判別できるようになるとのことでした。
これを読んだ時、「古道具屋の修行」は生きてゆくなかでいい知恵となると思いました。現代社会は便利なため、知りたい情報を簡単に得ることができます。そのため本当にそれが必要なのかどうか分からなくなることがあるものです。時には溢れすぎている情報の真意を疑うことも少なくありません。そのため「古道具屋の修行」を頭に置いておくと、本当に必要なことを得ることができるのではないかと思うのです。しかしながら形として捉えることができないものほど「偽」を判断することは難しくなります。そのため自分の中にある直感やセンスを磨くことが大切なのではないかと感じるのです。それらを磨くためには、少々痛手を負いながら経験から学ぶのがよい手段のかもしれません。経験値を踏む事で目は肥えてゆくと思うからです。
また人間関係を形成するなかで「人を見る目を持つ」ことは重要なことです。それは他者を疑うことや損得を考えるということではありません。良き出会いを紡ぐことは豊かな人生を送るためのエッセンスです。そして信頼できる友達を持つこと、お互い良い影響を与え合える関係を保つためには、まず自らが健全であることが大切だと思います。
類は友を呼ぶという言葉もある通り、人間関係は自らが呼び作ってゆくものです。また周囲の環境も自らが働きかけて形成しているものなのです。良質な心と鋭い感覚を持つためにも、ぶれない心髄を持つ努力をしてゆきたいものです。それが「ホンモノ」を知るためのキーポイントだと感じるからです。

文体に惚れる

先日、友人に借りた恋愛小説を読んでいた時「この作家さんは流れるような文章を書くなあ」と思いました。情景や心理の描写が豊かで、目をつぶると、その場面が明確にイメージされるような書き方ということです。それを貸してくれた本人に言うと「あなたならそう言ってくれると思った」と返事がきました。ほかにもバトル漫画のような書き方というのもあります。それはテンポよく展開する文章のことで、短いフレーズと体言止めが、ぽんぽんと続いていくものです。
もちろんこれは正式な決まりがあるわけではなく、あくまで私と友人がそう呼んでいるにすぎません。本はストーリーに夢中になるのもいいけれど、その他の部分楽しめるのも素敵だと思います。自分好みの文体が見つかると、ぞくぞくするんですよ。そして書き方は話によって大きく変わることはないので、最終的には話の内容に関わらず、作家さん自体を追うことになります。
言い回しや単語の選び方、漢字の使い方など、初めて素晴らしいと思う人に出会った時は「内容じゃなくてこんなところを見るなんて、自分は相当変わっているのではないか」と思いました。でも友人が「私もすごく気にするよ」と言ってくれたので、とても嬉しかったです。以来彼女は、一番の読書友達です。

絵本の楽しみ

幼い頃に最初に触れたのはやっぱり絵本です。母に何度も何度も読み聞かせてもらっていたようです。だから、大人になってからも、お話だけでなくその挿絵も覚えているものもあります。それに、大人になってからは、表紙がすごく可愛かったり、魅力的だったりで、興味を持ったものがあって、インテリアとして飾っておきたいと思う絵本があります。
先日、ある記事に贈り物にオススメの絵本が紹介されていたんだけど、どれも表紙がすごく洗練された感じでオシャレな雰囲気でした。私が子供の頃に読んだものとはかなりイメージが違っていました。そして、その内容も社会を風刺したお話があったり、その内容をまるごと体感できるような飛び出す仕掛けがあったりと、それぞれ個性に溢れていました。そうそう、オススメの中には作者がある芸人さんという絵本があったんです。私はその人がお話を書いているなんて知らなかったから、すごく意外な感じでした。それも、現代社会を映している物語なんです。そして、その社会の中で夢を追うことの素晴らしさを表しているとても魅力的なストーリーです。その芸人さんを見直してしまいました。というより、その才能に感心してしまったと言う方が正しいです。
でも、紹介されていたものはどれも、子供のためだけというには勿体ないくらいの作品です。もちろん、インテリアにしておくのだって勿体ないですけどね。手に取って眺めてみたいという衝動に駆られます。きっと癒しの世界に浸れると思うんです。

一番怖いホラー体験

先日、友人に勧められたホラー小説を読みました。文字だからこそ耐えられる恐ろしい描写は、私を震え上がらせるには十分で、最後はなるべく文面の内容を想像しないように、なんて考えてしまったほどですよ。これではただの、文字を追う作業ですね。後に気付いて、自分でも苦笑しました。
その点漫画は、イラストで描かれているので、否が応でも怖い場面が目に飛び込んできますよね。それはおどろおどろしい、子供が見たら泣いてしまいそうなものもあったりして、描いている方は怖くないのかなと気になることもしばしばです。ドラマなどではよく、恐怖ものを撮る時は、事前にお祓いに行くなんて話も聞きますが、書籍の場合も、そんなことがあるのかしら。
ただ私が一番怖いと思うのは、小説でも漫画でも、もちろん映像でもなく、聞き語りです。一度、ヘッドフォンをつけて怪談を聞くというのを、体験したことがあるのですよ。低い声で淡々と語られる内容は、自然と耳に入ってきますし、文字のように意識しないようにしても、効果音などの影響で、想像は勝手に膨らんでしまいます。それがとても、恐ろしく、私は結局最後まで、その話を聞くことができませんでした。ホラーなんて慣れっこだという人には、ぜひチャレンジしてほしいと思います。

途中経過と完成作品

時々、映像作品のシナリオや絵コンテが本になり、出版されることがありますね。以前は、わざわざこれを買う必要があるのかしら、と思っていました。しかし友人に借りてそれを読んだ時、これは映像とはまるで違うのだと気が付いたのです。たとえばシナリオならば、当然、同じ言葉が書かれています。しかしそのすべてを、きちんと耳で聞いているのかといえば、必ずしもそうとは限りませんよね。登場人物の表情や、声以外の音などに気をとられる場面もあるからです。
そして絵コンテの場合は、もうまるで別物としか言えません。それはそうですよね。絵コンテというのは、いわば下書きのようなもの。ここがスタートで、完成に近づいていくのですから。はっきり言えば、プロの世界を知らない私には、雑なお絵かきにも見えます。でも逆に、大雑把だからこそ、関わる方たちの苦労が想像できるのです。私達の目に入る完成版が、とても愛おしく、大切なものにも思えます。
残念ながら、それらの本が出版されるのは限られた作品だけですから、いつも手に入るものではないでしょう。しかし機会があったら、一度見てみる価値はあると思います。私はある意味、カルチャーショックを味わえました。