Category Archives: 向こう側

連載休止している作者さんへ

連載が止まってずっと休止してる作品ってけっこうありますよね。もはやネタになっているような作品(作者さん)もありますが、ファンとしては「私が死ぬまでに最終話まで描いてくださいよ!」って気持ちでいっぱいです。ずーっと昔から読んでる作品で、いつもは忘れているのですがふとしたことで思い出しては切ない気持ちになります。作者は…続きを描く気はあるのだろうか……単純に作品が面白いっていうのもあるのですが、主人公たちの行く末を見届けたいのです。どうか未完のまま終わらないでほしい。
私の中での行く末を見届けたい作品の2トップは、某名演目の主人公の座を2人の女の子で競うお芝居漫画、そして某同じ名前・同い年の全く違う性格の女の子二人の少女漫画。どちらも有名ですよね?前者はどっちが役を掴むのか気になりますし、後者は「これからどうなっちゃうの!?」ってところで止まっちゃってるし、考えれば考えるほどもどかしいです。ですがファンは信じて待つしかありませんね。きっと連載再開とか単行本新巻発売ってなったらネットニュースすごいだろうなぁ。きっと私もSNSでしばらく大騒ぎしてしまうと思います(笑)
作者さーん!信じて待ってますよー! …ファンレターでも出してみようかしら。

家に現われた一匹の蜘蛛

ちょっと前なんですが家に小さな蜘蛛が一匹いました。お天気が良かった日に窓を開けて喚起していたのでその時に入ってきたのかな?
最初見つけた時は「ウワッ!」とビックリしたのですが朝だったので…朝の蜘蛛は縁起が良いとか言うしとりあえずほっとけばそのうちいなくなるかなと思ってそのままにしました。そしたら次の日も、その次の日も蜘蛛は居て、完全に家に住み着いているようでした。
蜘蛛がいると虫とか食べてくれるんだっけ?なんてかなり朧げな記憶でそのまま放置していたのですが、ある日、洗濯したてのタオルの上をひょこひょこ歩いているのを見てこれは辛抱ならん!と窓の外へぱたぱたと逃がしました。
それから当たらり前ですが蜘蛛の巣型はなく、よく蜘蛛がいた洗面所にいっても「あーそっか蜘蛛逃がしたんだなー」と。数日間のみでしたが一緒に暮らしていたのでなんとも変な気分でしたね(笑)
名前もない一匹の蜘蛛。もしこれが小説家の家に現われていたなら名前をつけられ、物語の登場人物(人物?w)になっていたかしれませんね。「一人暮らしと一匹の蜘蛛」みたいな日常系小説。恋人が交通事故で死んだ次の日に家に蜘蛛が現れたミステリー小説…。私じゃそのくらいしか思いつかないけど小説家の皆さんだったらどんなストーリーが思い浮かんでくるのかな、と思った今日この頃でした。

マニキュア塗ったらしばらくは

こないだマニキュアを塗っていたらピンポンと鳴って荷物が届きました。慎重にドアを開けて、慎重に荷物を受け取って、慎重にサイン。特にサインがドキドキしました。これって女性なら分かってもらえますよね?!せっかく綺麗に塗れていたのに、乾いてないうちにちょっとでも触れたり引っかいてしまえば台無しになってしまいます。その爪だけ除光液で落として塗りなおしてまた乾くの待ってってしてたらいつまで経っても他のことができません。そうならないように細心の注意を払って荷物を受け取りました。ちなみに届いたのはネットで見つけたオシャレな本棚ラック。収納はもちろん、好きな雑誌を見せるように飾れるのが推しポイント。組み立て式だったとは言え、それなりに大きさはありますし、まあまあな重さ。運ぶのは危険だと判断し、少しの間玄関に放置。本当はすぐに開封して組み立てたかったですが、マニキュアが乾ききる前にそんなことしようものなら全爪塗りなおし必須なので我慢です。手をパーの形に広げながら今ある本棚をボーっと眺めて「このシリーズはあっちに入れて、手前を…あれはしばらく読んでないから…」なんて綿密な本移動を計算。やりたいことがあるといつもりマニキュアが乾く時間が長く感じました(笑)

最初の一歩さえ踏み出せれば

ちょっと悲しいことがあって落ち込んでいた時に、友人が「本読んだり、好きな音楽聴いたり、友達と話したりしてね。」と言ってくれました。どれも私の大好きなことです。落ち込んでいると大好きなこともなんだか楽しめないような気がしてちょっと離れていたんですよね。でも塞ぎ込んでただただシクシク落ち込んでいてもどうにもならない。好きだとか楽しいことをやっていれば自然と気持ちがそっちについていくから、と。
『気持ちが上がってからするのではなく、上げるためにする。』なるほどなぁって思いました。
もちろん最初の一歩がすごくハードル高いのですが、始めてしまえばスーッとそこに頭も心も向かっていきます。小説や音楽に感情移入してボロボロ泣いてしまったり、友人に気持ちを吐露することでまた大泣きしてしまったり、それでもその後には少しスッキリしている自分もいたりして。
心が落ち込んでいる時は何か1つ動くのも始めるのも怖かったり億劫になってしまいがちだけど、もし「ここから抜け出したい。頑張りたい。」って気持ちがあれば最初だけグッと頑張ってみたら案外簡単に何かがひらけるのかもしれませんね。あの時あの言葉をくれた友人には本当に感謝です。

実写化はハードル高い?

マンガが原作のドラマが増えましたね。ドラマはそのシーズンによって観るものがまちまちですがマンガ原作のものは気になって何本か観たことがあります。実写化は賛否が分かれることが多くありますがたしかに漫画って自分の中のイメージが強くあるし、作画がどうとか声がどうとかファンにとってはいろいろあるでしょうね。かく言う私もガッカリした経験はもちろんあります。
そういえば漫画やアニメの実写化はなかなかハードルが高いイメージがありますが、小説の実写化は比較的ハードル低い?かも??小説だと難しいけど映画だと分かりやすくて面白かったってこともありますしね。『ベストセラー作品ついに映画化―…!』なんて広告見ると「へー↑」って声が多い気がするのに対し、漫画アニメ原作の実写化広告は「うへー↓」な声が多い印象かも(笑)
漫画アニメファンの人たちはそれだけ原作への愛が深いってことかな。それは素敵なことだと思います。ただ毛嫌いせずこういうバージョンもあるって好きな作品の幅が広がったとか認知度が増したってプラスに思えたらもっとハッピーですよね。
私は原作との違いを楽しんだりしています。「どっちの方が好み」はもちろんあるけど、せっかくなので違いも楽しみます♪

表現の仕方で面白さは変わる?

「この人の表現の仕方が好き」とか「この人の言葉が好き」って感覚ありませんか?
私の好きな作家さんでそういう方がいます。なんかこの人の書く文章好きだなぁっていうの。心地よくてすーっと情景は目に浮かぶようなそんな感じです。
しれでふと思ったのですが、言葉を巧みに操るこういう方々が、私が考えるような陳腐なストーリーでもその持ち前の話術で読み応えある素敵な本に変えてしまうこともできるのでしょうか?やっぱり中身そのものが面白くないと難しいのかな?でも、まだストーリーもよく分からない冒頭の1,2フレーズでぐっと惹き込まれる作品ってありますよね。私のなんでもない話だってユーモアに溢れた人を惹きつけるお話になるのかなって思いました。
これを書いていて思いましたが翻訳家の方々もすごいですよね。異国の言語を作者の伝えたいことをその国の人に伝わりやすいように訳していくんですもの。かの有名な夏目漱石の「月がきれいですね」を思い出しました。
「きれいだ」と言う表現1つも「ガラス玉のようにきれいだ」と「花のようにきれいだ」では全然ニュアンスが違ってきますよね。言葉ってすごく面白いし、表現する力をもっと向上させていきたいなと思いました。

SNSでの出会い

先日SNSでフォローしているある方がエッセイ本を出されているのを知りました。
その人の発言がとても痛快で面白くフォローさせてもらっていたのできっとエッセイ本もこの人節炸裂で読み応えあるのだろうな、と即刻購入を決意!今回はオンラインで購入したので届くのが楽しみです♪
私はやっぱり本が好きなので短い投稿された文章では無く、1冊の本でしっかりその人の文章を読んで、少しでもその人の思考を知れるのはやっぱり嬉しいし楽しいです。
あと今まではその方の投稿を読むだけでしたが、読了後は軽い挨拶と感想を送ってみようかな、なんて考えてみたり。ファンレターをしっかり書くよりライトな気持ちで送れそうです。楽しみが広がりますね。
最近は本当にSNSでどんどんいろんな情報を得ることができます。きっとSNSでこの方のことを知ることなくたまたま本屋さんで目にしても買うことはなかったかもしれません。
現代の闇なんて言われることもあるSNSですが、こうやって出会えなかったものと出会えたり、新しい発見があるのは嬉しいです。もちろんちゃんと節度を守って、夢中になり過ぎには注意ですけどね!これからもいろんな情報を得て、新しいものと出会っていきたいと思います。
とにかく今はエッセイ本が待ち遠しい!(笑)

芸術都市にある劇場のブックコーナー

数年前に建てられて以来、様々な公演がおこなわれている芸術劇場に行ってきました。昔からこの劇場がある都市では芸術にとても力を入れているようです。街ぐるみで開催されるジャズ祭、4年に一度おこなわれる現代アートの祭典など、興味深いイベントには積極的に足を運ぶようにしてきました。芸術都市とも言える場所に建てられた劇場では、芝居やコンサートが毎週末のようにお開催されています。また公演内容も新人気鋭の若手舞台監督が手掛けるお芝居や現代音楽を演奏するミュージシャン達のステージまで幅広いラインナップになっていることも魅力的だと感じています。
この日訪れたのは、コンサートを鑑賞するためでした。終演後エレベーターを降りながら出口に向かっていたらところ、とても興味深いコーナーを見つけたのでした。そこには劇場で今後おこなわれる企画にまつわるものや出演する方々の書籍が置かれていました。古典芸能や女優の手記についての本、舞踏を生業にするダンサーが手掛けた作品など、普段あまり手に取ることのない書籍達でした。設置された椅子に座り、棚に置かれた本をくまなくチェックしていたら、以前から大ファンである女優の半生を綴った本を見つけたのでした。「こんな書籍が発売されていたとは」と思い、帰宅後インターネットで購入したことは言うまでもありません。また公演時に頂いたチラシの中に今は亡き昭和の歌手が手掛けた楽曲を演奏するイベントがあり、出演者にあの女優さんの名前が書かれていたのでした。演じることはもちろんのこと、歌声も私の心に強く刻まれているため、このコンサートには足を運ばねばと心に決めたのでした。

限りなく広がる旅への憧れ

もし自由になる時間とお金が山ほどあるのであれば、気の向くままに旅をしたいというささやかな願望があります。知らない国を訪れて食べたことのなり料理に舌鼓を打ち、文化に触れることで、自分の価値観がどんどん研ぎ澄まされてゆくのではないかと思うからです。もちろん日本にいたってこうした経験をすることはできますが、他国へ出向くことで改めて発見することは多々あるのではないかと感じます。こうした経験が、いつしか私自身の生きる力にもなるのではないかと思うし、何よりも知らないことを知ることはとってもワクワクするものです。そんな楽しい気持ちを持ちながら生きてゆけたらどんなに素敵だろうと思っております。
こうしたことが頭をよぎる時、今まで様々な旅についてのエッセイを読んできたことに気付かされます。どの作品も自由に楽しむことが丁寧に書かれていて、著者が赴くままに行動しながら行く先々で五感をフル活用して体験した事達はどれも魅力溢れるもので、「世界はなんて広くて限りないものなのだろう」と胸に響くのでした。
私の中で最も心に残っている随筆は、今から何十年も前に世界各地を訪れた歴史小説家のエッセイです。そこには肌と舌で味わった異国の日常が記されており、その土地にしっかりと馴染んでいる姿が印象的でした。そしてどんなところに身を置いても、実直な視点で物事を見ることやおごりや色眼鏡をかけずに生活に馴染むことの大切さを知りました。この書籍を読んだことは旅への憧れと共に、今目の前にあることに対しても心から楽しんで取り組む姿勢を学んだのでした。

目的なく訪れた本屋で購入したエッセイ

ぶらり立ち寄った本屋さんで、新刊チェックをしてみました。ここ最近発売された本をチェックすることは、私のとても貴重な時間です。「あの作家がこんな小説を書いている」とビックリしたり、好きな作家が手掛けたエッセイを見つけたりと、目的なく入った書店では意外な発見があるものです。こうした思ってもみなかった作品に出会うことは、暮らしの中で非常に貴重なものになりつつあります。なぜならばそこから未知なる世界が開けてゆくことにも繋がるし、それは趣味を極める大切な方法だと感じるからです。先日訪れた書店では、以前読んだ時に感銘を受けた小説を執筆した女性作家のエッセイを見つけることができました。それは優しくも力強さと生命力を秘めたもので、完読した後に「この小説を読むことができて本当によかった」と思い、忘れられない貴重な経験として心に刻まれたのでした。そのことが本棚の前で頭をよぎり、エッセイを購入しました。この書籍は旅や日常の暮らしについてのもので、著者が手掛ける物語達をより一層深く知ることにも繋がるのではないかと感じています。またあの心打たれた小説に紐づくエピソードを知ることができるのではないかと思い、ページを開くことが待ち遠しいです。