Category Archives: 向こう側

アッパーな小説は朝の憂鬱を吹き飛ばす

満員電車はストレスフルです。ギュウギュウにひしめき合い、人との感覚も取れずにいつの間にか片足が宙に浮いてしまうことも少なくありません。踏ん張ろうにも限界を感じ、半ば諦めモードになることも多々あります。しかしながら過度のストレスを抱えて過ごすのは、精神的にもきついものです。私はそんな辛さを回避すべく、満員電車対策法を練るようにしています。なるべく空いていそうな時間帯に電車に乗れるように早めに家を出て目的地にあるコーヒーショップで時間を潰すという行動を取ってみたり、空いている車両に乗るようにしてみたりと様々です。そしてこの二つの作戦を決行する時には、決まって本を鞄に忍ばせるようにしております。もし本を開くことが出来るのであれば、今いる場所から違う次元へトリップすることが出来るからです。また喫茶店でコーヒーを飲みながら朝から本を読むというのは優雅なもので、いい一日を過ごすことにも繋がります。ちなみにこうした時に読む作品はアッパーなものが多く、ストレスを貯めた心を解放するような物語を手にすることにしています。またユーモラスで心から笑うことが出来る作品を一日の始めに読む事は、暮らしのビタミン剤になるものです。兎にも角にも、心にあるウップンは溜めずに効果的な方法で吐き出すことがとても大切です。ストレスを回避する方法は人それぞれの思考により異なるものなので「私にとってはこれが最適」というものを探すことが、自らも楽しくアッパーに生きるための一歩だと思うのです。

素敵なものがぎっしり詰まったセレクトショップのような映画館

都会の片隅にひっそりと佇む映画館に行ってきました。ここではシネコンでは観ることのできない作品が上映されており、独自の視点で選んでいるところにとても好感が持てます。また建物の中にはカフェも併設されており、オーガニックの野菜を使った料理や中東のレシピを味わうことが出来るのも嬉しい限りです。今まで何度か訪れたことはあったのですが、この日初めて2階にあるお部屋で映画を鑑賞したのでした。この部屋はまるで友達のおうちに遊びに来たかのような錯覚におちいる程、ゆったりと過ごすことができる空間でした。赤いクッション生地や背もたれが柔らかくて座り心地がいい椅子が並んでおり、壁には本やDVDなどが置かれていました。棚に並ぶ作品は名前だけは知っていてもまだ読んだことも観たこともないものばかりで、これからの芸術鑑賞に大いに役立つ情報が盛りだくさんでした。そしてグッズ売り場はまるでセレクトショップのようで、パンフレットだけではなく雑貨なども売られていて、どれも可愛らしくセンスがよいものばかりでした。なかでもカフェで提供しているような世界のお料理について書かれたレシピ本は私の心を鷲掴みにしたのでした。その書籍には様々な豆料理が載っていてどれもヘルシーで体に良さそうなものばかりだったからです。映画はもちろんのこと、書籍のラインナップにも心奪われた夢のような空間で過ごすことができたことは、私にとって素敵な時間でした。

ファッションのお手本を胸に楽しむおしゃれ

ファッションのお手本にしている女性小説家がいます。今はこの世にいない方ですが、生前の写真を見るといつも仕立てのよい上品なお洋服を着ていることを伺いしることができます。10代の初頭から縫物をするようになり、自分で洋服を作っていた時期もあったようです。手仕事にこだわりがあったようで、作家としてデビューした後はオーダーメイドのお店でワンピースやコートを仕立てて頂いていたこともありました。その当時のファッションは、粋でモダンな佇まいが本当に素敵だったのです。
私はこの作家のおしゃれについて書かれた本でエレガントな着こなし方を学びました。そのため書籍を読んでからは、買い物に行ってもいつも作家の着こなし方を頭に置きながらショッピングを楽しむようになったのでした。こうしたこだわりを持っているうちに、流行りのコーディネートに身を包むことも楽しいけれど、自分らしさを持った大人なファッションの楽しみ方があることに気付かされるようになりました。
これから年を重ねてゆく中で、もっと貪欲にモダンと品を追い求めてゆきたいと心に決めております。人は見かけではありませんが、視線に飛び込んでくる姿で印象が決まるとも言われています。コーディネートに磨きをかけながらも、それに見合った人格であることも大切なことだということを頭に入れつつ、日々おしゃれを楽しんでゆこうと思うのでした。

好きを貫くことは大切

モチベーションを上げるための一つに「好きなものに囲まれた生活をすること」があると何かの著書で読んだことがあります。それはお部屋の中のインテリアについても言えることのようです。自分の嗜好に合った色やグッズを施すことは、気持ちがグンと上がるからです。そんなことを考えている時、決まってある作品が頭に浮かんでくるのです。それは小説が原作となった映画です。いつも独自の感性を持つロリータファッションを着ている女の子のお部屋は、まさにお姫様な世界に包まれております。そしてマイワールド全開なお部屋で、趣味である刺繍に没頭しているのです。お洋服にちょっと彼女の刺繍が入るだけで、一味も二味も違うセンスになるのは、恐らく才能なのでしょう。そんな愛する刺繍への気持ちがいつしか身を結び、彼女が日頃から着ているブランドでスタッフとして働くようになり、この物語はエンディングを向かえるのです。現代の物語ですがどこか中世ヨーロッパの香りがするポップでキッシュなこの作品に私はいい刺激を受けているようで、時折この映画を観賞することにしています。何度観ても「可愛い」という言葉で心が埋め尽くされて、幸せな気分になります。そして本当に愛している物達に囲まれていると、この映画のようにいつしか自分のやりたいことも手に入るのではないかと感じるようになりました。生きていくということは、好きなことだけをやってゆくわけにはいきませんが、ちょっとわがままを言ってもいいのではないかと思います。本当に好きなことを貫いてゆけば、その先に広がる世界は素敵なものになると感じるからです。

ホラー映画よりも怖い女の闇を描いた作品

女性の心理はとても複雑です。それは他者に対しても伺い知ることができるし私自身についても言えることです。ネガティブな気持ちにさいなまれた時、心の中を客観視してみると「整理できないことがこんがらがっていてどうしようもできない」と感じることを幾度か経験してきました。それはまるで結び目を解くことができない紐のようで、誰しもこんなに悩むことがあるのだろうかと感じたものです。こうした経験もあり女性の心理を描いた小説を読む事がけっこう好きだったりもします。そこには心の奥底に潜む闇が浮き彫りにされるものが多く、共感することもたくさんあると同時に、深い闇の怖さを改めて考えさせられるものです。
先日小説が原作となった映像作品を観ました。この作品には「女の執念」が根深く描かれていました。様々なライフスタイルを持つ女性達が登場し、ある事件をきっかけに一本の線として関係が結び付いてゆきます。その過程に起こる「嫉妬」や「執着」はとても恐ろしいもので、まるでホラーでした。自分が属するコミュニティの中で優位に立ちたいと思う者、生活に疲れていることを隠し華やかに振る舞う者、恩を買いその人のために尽くし過ぎる人など、そこには必要以上に人や事柄に執着することの恐ろしさが描かれていたのでした。そしてプライドを守るがあまりに自分を見失ってしまうことがあることを知りました。
社会に生きる以上、周囲の人達の影響を受けながら生きることは当たり前のことだと思います。しかしながら影響を受けすぎてしまうことは、個々のアイデンティティを崩壊させることに繋がると悟りました。自分を見失う程に何かに固執することの怖さをこの作品から突き付けられたことは、ネガティブシンキングにさいなまれないための忠告だと感じたのでした。

ホンモノとニセモノと

今読んでいる書籍に興味深いことが書かれています。古道具屋は本物と偽物を区別するために毎日本物だけを見る修行をするそうです。何年も修行を続けることで偽物をひと目で判別できるようになるとのことでした。
これを読んだ時、「古道具屋の修行」は生きてゆくなかでいい知恵となると思いました。現代社会は便利なため、知りたい情報を簡単に得ることができます。そのため本当にそれが必要なのかどうか分からなくなることがあるものです。時には溢れすぎている情報の真意を疑うことも少なくありません。そのため「古道具屋の修行」を頭に置いておくと、本当に必要なことを得ることができるのではないかと思うのです。しかしながら形として捉えることができないものほど「偽」を判断することは難しくなります。そのため自分の中にある直感やセンスを磨くことが大切なのではないかと感じるのです。それらを磨くためには、少々痛手を負いながら経験から学ぶのがよい手段のかもしれません。経験値を踏む事で目は肥えてゆくと思うからです。
また人間関係を形成するなかで「人を見る目を持つ」ことは重要なことです。それは他者を疑うことや損得を考えるということではありません。良き出会いを紡ぐことは豊かな人生を送るためのエッセンスです。そして信頼できる友達を持つこと、お互い良い影響を与え合える関係を保つためには、まず自らが健全であることが大切だと思います。
類は友を呼ぶという言葉もある通り、人間関係は自らが呼び作ってゆくものです。また周囲の環境も自らが働きかけて形成しているものなのです。良質な心と鋭い感覚を持つためにも、ぶれない心髄を持つ努力をしてゆきたいものです。それが「ホンモノ」を知るためのキーポイントだと感じるからです。

夕餉の時間帯が好きです

私が好きな言葉に「夕餉」があります。これは「晩ご飯」を意味する言葉で、何とも言えず味がある響きに心惹かれます。なぜこんなにも胸に響くかというと以前女性作家が書いた随筆を読んだからかもしれません。夕方にスーパーや商店街に行くと、その日の晩御飯のために買い物をする人々の姿を目にします。買い物かごや手に取っている材料を目にすることで、その家庭の献立を想像することが出来るのは興味深いものです。また生活している姿がそこにあることをとても微笑ましく感じます。随筆を手掛けた女性作家も夕方のスーパーで買い物をすることを好んでいるようで、買い物かごを手に献立を考えながら商品を選んでいる光景が印象深いと書かれていました。確かに目の前を歩く人の籠の中ににんじんやじゃがいも、豚肉などが入っていたら「今日の晩御飯はカレーかしら」と思うものです。そこからイマジネーションを膨らませて、どんなルーで作るのか、辛口か甘口かなどを考えるのもなかなか楽しいことです。
日々の生活で無くてはならない食事の時間をどんな風に過ごすかはそれぞれ異なるものです。一人であったり、家族と供に過ごしたりとまちまちですが、美味しい時間を過ごしたいと願うことはみんな同じだと思います。これからも夕刻に食材を買い物する時は、これから食べるものを考えることや買い物する人々の姿を目にしながらワクワクする時間を過ごせたら素敵だと思うのでした。

古本屋さんで宝探し

古本屋って、どうしてこうも胸がときめくのでしょう。そのお店を見つけたのは、いつもならばバスで通る道でした。ずっと存在は知っていて、気にもなっていたのですが、そのためだけに降りるのもどうかなあと思い、見ているだけだったのです。でもその日はちょうどバスが遅れていて、それなら停留所一つ分歩こうか、ああ、あの古本屋さんに寄ってみようか。そんな気持ちになったのです。
ひとりが通るのが精いっぱいの細長い店内には、足元から天井まで、びっしりと本が詰まっていました。入口付近なんか、ただ山のように積み上げてあるのですよ。中にはビニールひもでくくってあるものもあり、シリーズものなのか、片付けが終わっていないものなのかもわかりません。でもこういういかにも「探検したい」と思えるような場所にこそ、魅力的なのですよね。
他にお客さんはいなかったので、じっくり棚を眺めました。サイズだけはなんとなく揃っているものの、ジャンルの区分はまるでなく、宝探しみたいです。最後には、文字を追っている目がちかちかしてしまいました。でも素敵な表紙の雑誌を見つけられたので、良かったです。バスが遅れてくれたことに感謝しつつ、今度はここを目的に訪れようと誓いました。

映画と原作の攻撃力

ふと、最近の映画館は割引をしてくれる日が多いなあと感じました。もちろん、昔はもっとチケット代が安かったから、その方が便利だったという人もいるでしょう。でも、今は本当にすごいんですよ。時間帯や性別、年齢によって、多くの割引が設定されているのですから。レイトショーや午前中の一番初めの時間が安くなったり、レディースデイ・メンズデイ、シニア割などと呼ばれているのが一般的でしょうか。
映画館に行くときは、もちろんその日を狙って出掛けます。そうなったそもそものきっかけは、原作ありの作品が増えたことですよ。漫画や小説を読んで「これ面白いなあ」と思った話が映像化されたら、見に行かないわけには行かないでしょう。そして実際に行くと、まずは宣伝で予告編を見ることになりますから、そこで原作つきのものがあると、本を買ってまた上映を楽しみにし……という循環になるのです。
これぞ出版社、あるいは映画製作会社の策略?なんて思ってしまいます。でもこれで人生に楽しみが増え、生活に張り合いが増えるのだから、いいのですけれどね。ただ、素敵な作品が多い月は、お小遣いは厳しい状況になったりもするので、例の割引を使えるよう、日程を調整するのです。

きっかけ問わぬ貴重な縁

偉大な作家さんが亡くなると、時代も変わってきているのだな、と思います。作品はたとえ永遠の命を得て、後の世に残されたとしても、ご本人の命は永遠ではありませんからね。まったく、悲しいことです。しかし永遠に生きることができないからこそ、文豪たちは、素敵な話を書けたのではないかと思いもします。だって、今の生活がずっと続くと思ったら、どうしたってだれてしまいますもの。たった何十年という区切りがあるから、人は輝ける……そういう考えだって、ありでしょう。
それに中には、訃報でその方の存在を知り、作品に触れる人だっていますよね。私の友人が、そうでした。書店で平積みになっているものを買ったら、亡くなった作家さんの特集としてそう置かれていたものだったのですって。「こんな素晴らしい本を知らなかったなんて」と悔やんでいましたね。ただ「時期は遅かったけれど、出会えて良かった」とも言っていました。
今は出版される本も多いですから、書店で今日見かけたものが、一か月後には書棚に並んでいないということもあるでしょう。そういう意味では、作品や作家さんとの出会いは、まさに一期一会だとも言えます。友人のように、いつになっても、知りあえることに感謝するのがいいのでしょうね。