素敵なものがぎっしり詰まったセレクトショップのような映画館

都会の片隅にひっそりと佇む映画館に行ってきました。ここではシネコンでは観ることのできない作品が上映されており、独自の視点で選んでいるところにとても好感が持てます。また建物の中にはカフェも併設されており、オーガニックの野菜を使った料理や中東のレシピを味わうことが出来るのも嬉しい限りです。今まで何度か訪れたことはあったのですが、この日初めて2階にあるお部屋で映画を鑑賞したのでした。この部屋はまるで友達のおうちに遊びに来たかのような錯覚におちいる程、ゆったりと過ごすことができる空間でした。赤いクッション生地や背もたれが柔らかくて座り心地がいい椅子が並んでおり、壁には本やDVDなどが置かれていました。棚に並ぶ作品は名前だけは知っていてもまだ読んだことも観たこともないものばかりで、これからの芸術鑑賞に大いに役立つ情報が盛りだくさんでした。そしてグッズ売り場はまるでセレクトショップのようで、パンフレットだけではなく雑貨なども売られていて、どれも可愛らしくセンスがよいものばかりでした。なかでもカフェで提供しているような世界のお料理について書かれたレシピ本は私の心を鷲掴みにしたのでした。その書籍には様々な豆料理が載っていてどれもヘルシーで体に良さそうなものばかりだったからです。映画はもちろんのこと、書籍のラインナップにも心奪われた夢のような空間で過ごすことができたことは、私にとって素敵な時間でした。

ファッションのお手本を胸に楽しむおしゃれ

ファッションのお手本にしている女性小説家がいます。今はこの世にいない方ですが、生前の写真を見るといつも仕立てのよい上品なお洋服を着ていることを伺いしることができます。10代の初頭から縫物をするようになり、自分で洋服を作っていた時期もあったようです。手仕事にこだわりがあったようで、作家としてデビューした後はオーダーメイドのお店でワンピースやコートを仕立てて頂いていたこともありました。その当時のファッションは、粋でモダンな佇まいが本当に素敵だったのです。
私はこの作家のおしゃれについて書かれた本でエレガントな着こなし方を学びました。そのため書籍を読んでからは、買い物に行ってもいつも作家の着こなし方を頭に置きながらショッピングを楽しむようになったのでした。こうしたこだわりを持っているうちに、流行りのコーディネートに身を包むことも楽しいけれど、自分らしさを持った大人なファッションの楽しみ方があることに気付かされるようになりました。
これから年を重ねてゆく中で、もっと貪欲にモダンと品を追い求めてゆきたいと心に決めております。人は見かけではありませんが、視線に飛び込んでくる姿で印象が決まるとも言われています。コーディネートに磨きをかけながらも、それに見合った人格であることも大切なことだということを頭に入れつつ、日々おしゃれを楽しんでゆこうと思うのでした。

好きを貫くことは大切

モチベーションを上げるための一つに「好きなものに囲まれた生活をすること」があると何かの著書で読んだことがあります。それはお部屋の中のインテリアについても言えることのようです。自分の嗜好に合った色やグッズを施すことは、気持ちがグンと上がるからです。そんなことを考えている時、決まってある作品が頭に浮かんでくるのです。それは小説が原作となった映画です。いつも独自の感性を持つロリータファッションを着ている女の子のお部屋は、まさにお姫様な世界に包まれております。そしてマイワールド全開なお部屋で、趣味である刺繍に没頭しているのです。お洋服にちょっと彼女の刺繍が入るだけで、一味も二味も違うセンスになるのは、恐らく才能なのでしょう。そんな愛する刺繍への気持ちがいつしか身を結び、彼女が日頃から着ているブランドでスタッフとして働くようになり、この物語はエンディングを向かえるのです。現代の物語ですがどこか中世ヨーロッパの香りがするポップでキッシュなこの作品に私はいい刺激を受けているようで、時折この映画を観賞することにしています。何度観ても「可愛い」という言葉で心が埋め尽くされて、幸せな気分になります。そして本当に愛している物達に囲まれていると、この映画のようにいつしか自分のやりたいことも手に入るのではないかと感じるようになりました。生きていくということは、好きなことだけをやってゆくわけにはいきませんが、ちょっとわがままを言ってもいいのではないかと思います。本当に好きなことを貫いてゆけば、その先に広がる世界は素敵なものになると感じるからです。

ホラー映画よりも怖い女の闇を描いた作品

女性の心理はとても複雑です。それは他者に対しても伺い知ることができるし私自身についても言えることです。ネガティブな気持ちにさいなまれた時、心の中を客観視してみると「整理できないことがこんがらがっていてどうしようもできない」と感じることを幾度か経験してきました。それはまるで結び目を解くことができない紐のようで、誰しもこんなに悩むことがあるのだろうかと感じたものです。こうした経験もあり女性の心理を描いた小説を読む事がけっこう好きだったりもします。そこには心の奥底に潜む闇が浮き彫りにされるものが多く、共感することもたくさんあると同時に、深い闇の怖さを改めて考えさせられるものです。
先日小説が原作となった映像作品を観ました。この作品には「女の執念」が根深く描かれていました。様々なライフスタイルを持つ女性達が登場し、ある事件をきっかけに一本の線として関係が結び付いてゆきます。その過程に起こる「嫉妬」や「執着」はとても恐ろしいもので、まるでホラーでした。自分が属するコミュニティの中で優位に立ちたいと思う者、生活に疲れていることを隠し華やかに振る舞う者、恩を買いその人のために尽くし過ぎる人など、そこには必要以上に人や事柄に執着することの恐ろしさが描かれていたのでした。そしてプライドを守るがあまりに自分を見失ってしまうことがあることを知りました。
社会に生きる以上、周囲の人達の影響を受けながら生きることは当たり前のことだと思います。しかしながら影響を受けすぎてしまうことは、個々のアイデンティティを崩壊させることに繋がると悟りました。自分を見失う程に何かに固執することの怖さをこの作品から突き付けられたことは、ネガティブシンキングにさいなまれないための忠告だと感じたのでした。

お金との良好な関係を知ること

先週末の午後、買い物をするためにお出掛けしました。この日はスカートかワンピースを購入しようと思っていて、私の物欲はマックスに高まっておりました。こんなモチベーションの時は決まって余計なものを購入しがちです。以前にも決めていたものではないものを購入してしまい家に帰って冷静になってから「今日の買い物はちょっと誤ったかも」と思った経験があります。こうした場数を踏み、だいぶ買い物上手になってきたと我ながら思うようになりました。この日もあれこれ試着をして迷った結果、シンプルなデザインのワンピースを購入して帰宅したのでした。
さて私は買い物をする際に頭に置いていることがあります。それは以前読んだ本で出会った「お金との良好な関係」のエピソードです。それはお金と人間関係は似ていて、どちらも良い関係を築くことができれば人生を豊かにしてくれるものということ。またお財布から旅立つ時には感謝をしつつ「たくさん友達を連れて戻ってきてね」と心の中で唱えることがポイントだとありました。これを読んだ時日々の暮らしを考え直すきっかけにもなり、気持ちを豊かにするためにお金を使おうと心掛けるようになりました。なかなか上手に行かないこともあるけれど、欲に任せずに本当に欲しいものをじっくり考えるようになったと感じています。先週末もある意味このことが良いストッパーになったと思っています。
人によって豊かさの価値観は違うものですが、私にとっては美味しいものを食べて好きな人達と楽しい時間を過ごすことだったりします。そんなささやかな幸せを味わうためにも、心身共に満足するためにお金を使うことを胸に精進しております。

可愛いが詰まった幸せを運ぶ本

「可愛い」には一言では表現することが出来ないくらい、たくさんのことが詰まっています。例えば動物を見た時の印象であったり、ファッションセンスが抜群にいい女の子であったり、好きな人の仕草であったりと、ここに全てを書くことができないくらい、日常に満ち溢れているのです。その背景には、愛着や好きという気持ちが隠れている気がしているため、私はこの言葉をとても大切に使うようにしています。
さて、先日「キュート」が凝縮された本を読みました。なぜなら古今東西の作家や詩人達の選りすぐりの可愛い作品を集めたものだったからです。動物が主役のものや素敵なシニアが登場する小説、日常の事柄をささやかに書いた詩や歌が載っていて、本を手にすることが楽しみになる作品でした。また電車の中や就寝前に読んでいると、心が満たされて幸せを感じることができました。それはこの書籍の監修をした女性の幅広い目線で収集されたキュート達は、どれも味わい深くて胸がキュンとするものばかりだったからかもしれません。そのため読み終えた後は、何だかとても寂しくて、印象に残った作品達を再度読み返したほどでした。この余韻に浸りながら、これからも「可愛い」と感じること達にたくさん出会いたいという強い気持ちでいっぱいです。

ホンモノとニセモノと

今読んでいる書籍に興味深いことが書かれています。古道具屋は本物と偽物を区別するために毎日本物だけを見る修行をするそうです。何年も修行を続けることで偽物をひと目で判別できるようになるとのことでした。
これを読んだ時、「古道具屋の修行」は生きてゆくなかでいい知恵となると思いました。現代社会は便利なため、知りたい情報を簡単に得ることができます。そのため本当にそれが必要なのかどうか分からなくなることがあるものです。時には溢れすぎている情報の真意を疑うことも少なくありません。そのため「古道具屋の修行」を頭に置いておくと、本当に必要なことを得ることができるのではないかと思うのです。しかしながら形として捉えることができないものほど「偽」を判断することは難しくなります。そのため自分の中にある直感やセンスを磨くことが大切なのではないかと感じるのです。それらを磨くためには、少々痛手を負いながら経験から学ぶのがよい手段のかもしれません。経験値を踏む事で目は肥えてゆくと思うからです。
また人間関係を形成するなかで「人を見る目を持つ」ことは重要なことです。それは他者を疑うことや損得を考えるということではありません。良き出会いを紡ぐことは豊かな人生を送るためのエッセンスです。そして信頼できる友達を持つこと、お互い良い影響を与え合える関係を保つためには、まず自らが健全であることが大切だと思います。
類は友を呼ぶという言葉もある通り、人間関係は自らが呼び作ってゆくものです。また周囲の環境も自らが働きかけて形成しているものなのです。良質な心と鋭い感覚を持つためにも、ぶれない心髄を持つ努力をしてゆきたいものです。それが「ホンモノ」を知るためのキーポイントだと感じるからです。

夕餉の時間帯が好きです

私が好きな言葉に「夕餉」があります。これは「晩ご飯」を意味する言葉で、何とも言えず味がある響きに心惹かれます。なぜこんなにも胸に響くかというと以前女性作家が書いた随筆を読んだからかもしれません。夕方にスーパーや商店街に行くと、その日の晩御飯のために買い物をする人々の姿を目にします。買い物かごや手に取っている材料を目にすることで、その家庭の献立を想像することが出来るのは興味深いものです。また生活している姿がそこにあることをとても微笑ましく感じます。随筆を手掛けた女性作家も夕方のスーパーで買い物をすることを好んでいるようで、買い物かごを手に献立を考えながら商品を選んでいる光景が印象深いと書かれていました。確かに目の前を歩く人の籠の中ににんじんやじゃがいも、豚肉などが入っていたら「今日の晩御飯はカレーかしら」と思うものです。そこからイマジネーションを膨らませて、どんなルーで作るのか、辛口か甘口かなどを考えるのもなかなか楽しいことです。
日々の生活で無くてはならない食事の時間をどんな風に過ごすかはそれぞれ異なるものです。一人であったり、家族と供に過ごしたりとまちまちですが、美味しい時間を過ごしたいと願うことはみんな同じだと思います。これからも夕刻に食材を買い物する時は、これから食べるものを考えることや買い物する人々の姿を目にしながらワクワクする時間を過ごせたら素敵だと思うのでした。

古本屋さんで宝探し

古本屋って、どうしてこうも胸がときめくのでしょう。そのお店を見つけたのは、いつもならばバスで通る道でした。ずっと存在は知っていて、気にもなっていたのですが、そのためだけに降りるのもどうかなあと思い、見ているだけだったのです。でもその日はちょうどバスが遅れていて、それなら停留所一つ分歩こうか、ああ、あの古本屋さんに寄ってみようか。そんな気持ちになったのです。
ひとりが通るのが精いっぱいの細長い店内には、足元から天井まで、びっしりと本が詰まっていました。入口付近なんか、ただ山のように積み上げてあるのですよ。中にはビニールひもでくくってあるものもあり、シリーズものなのか、片付けが終わっていないものなのかもわかりません。でもこういういかにも「探検したい」と思えるような場所にこそ、魅力的なのですよね。
他にお客さんはいなかったので、じっくり棚を眺めました。サイズだけはなんとなく揃っているものの、ジャンルの区分はまるでなく、宝探しみたいです。最後には、文字を追っている目がちかちかしてしまいました。でも素敵な表紙の雑誌を見つけられたので、良かったです。バスが遅れてくれたことに感謝しつつ、今度はここを目的に訪れようと誓いました。

姿勢を変えてごろごろ読書

この前朝起きたら、首が痛くて何事かと思いました。特に運動はしてないし、重いものを持ったりもしていないはず……と思い返して、あ、と気付いたのが、昨夜の読書。ごろごろと横になって読んでいる時に、ちょっと首の筋がはっているな、と思っていたんですよね。あれが寝ている間に悪化したのでしょう。とりあえずストレッチをして、一晩眠ったら直りました。
本に集中していると、他のことはどうでも良くなってしまいます。結果、お腹が空いているのに食事を抜いてしまったり……まったく困ったものです。でも、面白いことがあると他は目に入らなくなってしまう人は、案外多いのではないでしょうか。それはつまり、その時間が楽しいということ。そう考えれば、こうしてちょっと痛いところが増えていたとしても、昨日の読書はハッピーな時間だったのだな、と思えて、幸せになれる気がします。
でもやっぱり、体は健康が一番ですから、今度は億劫がらず、姿勢を変えるくらいはしなくてはいけませんね。寝ている時は、ずっと同じ格好はせずに、時々ごろんと逆方向に一回転がって、逆に筋を伸ばしながら読書をすることにします。集中してもふとした拍子に思いだして、忘れないようにしなくては。