Category Archives: 立ち止まる

デザインの必要性と重要性

先日、写真集をデザインしたというデザイナーの方にお会いしました。なんと、一ページずつ全部、細かくチェックを入れるのですね。どのページにも同じように並んでいたので、私はてっきり、一枚分だけいろいろと指定して、あとは機械で作るように、自動的にできるものだと思っていました。デザイナーさんすみません。お仕事、知らなすぎでした。
しかしそれを聞き私は、今はたいていのことはコンピューターでできる時代だけれど、最終確認は、人の目なんだなあとも感じました。「これとまったく同じように、あと作っておいてね。よろしく」ってできれば簡単なのに。それとも、あえて手作り感を大事にして、まったく同じにはしないのでしょうか。たとえばこれが写真集ではなくて小説だったなら、文字は機械で自然に挿入されますから、そこまで細かなデザイン重視にはならないと思います。
ただもしかしたら、文字の指定とかが詳細に必要かもしれませんね。ただの小説ならばいいけれど、雑誌やムック本だと、いろいろなタイプの文字を使っている物がありますもの。あれ、でも雑誌などは写真と同じ、目で楽しむタイプのものということになるのかしら。なんだか頭がこんがらがってきました。

特典選択が悩みの種です

先日新刊の小説を買おうとしたら、購入する書店によって特典が違うのだと聞き、驚きました。今までDVDやブルーレイ、CDなどではそういうことがあったけれど、本ではなかなか見たことがなかったからです。しかし、悩みますね。
特典はたいていショートストーリーが多いような気がしますが、やっぱりどの話も読みたいじゃないですか。でも小説本体は、一冊あれば十分なのです。複数購入し、多くなってしまった分を古書店に売れば経済的なのでしょう。でもそれも作者さんに申し訳なく……結局そのときは、友達と話を合わせて違う特典のものを買いました。
ひとりが複数購入するかもしれない、あるいは、特典のどれかが買い手の心にビビッとヒットして、もともとは「今回はいらないかな」と思っていた人の気を引けるかもしれない、という、出版社サイドの策略でしょう。まったく、いい案です。だってこうして、ついついたくさん買っちゃおうかなって思わされてしまうんですもの。でも、作家さんはいろいろなショートストーリーを書かねばならず、大変ですね。それとも、長い本文を仕上げた後だから、短文ならばそれほど苦労なく書きあげられるのかしら。どちらにせよ、今後も私は、どれにしようかなと悩むことになるのでしょう。

負担を減らして読書復活

以前まで毎日一冊は必ず本を読んで、ブログに感想を書いていた友人が、いきなり更新をやめてしまいました。もしかして急に体調でも悪くなったのかもしれない……。そう思い数日後に連絡を取ってみると、彼女の体はいたって元気の様子。ただ、毎日更新していたブログや、その事前段階としてつけていた読書ノートが、面倒なものに感じられるようになったのですって。それを書かなければと思うと、どうしても本に手が伸びないのだと言っていました。
それを聞き、私は「それならノートもブログも書くのやめちゃえば」と提案しました。これまで続けてきたものをやめろと言うなんて、無責任だと思われる方もあるかもしれません。しかし彼女自身が嫌だと思い、それで大好きな読書もできないくらいになっているのならば、やめたっていいと感じたのです。だってそれは、お金を貰っている仕事ではなく、義務ではないのですもの。
彼女は私の言葉を聞いてすぐに、ぱっと顔を輝かせました。「そうだね、そうしようかな!」誰かが背中を押してくれるのを、待っていたのかもしれません。彼女の感想を読むことはできなくなってしまったけれど、大事な友達の趣味が復活するのだと思うと、とても嬉しいです。

優先順位は人それぞれ

私の知人は、とにかくファッション用品を買いません。一点豪華主義なのではなく、着れるうちはとことん着たおす主義なのです。その理由は単純明快、「服より小説を買いたいから」というのですから、同じ読書好きとしては頭が下がります。彼女曰く「着るものは代用が聞くけれど、本はそうはいかない」のだそうですが、確かにそうなのですよね。冠婚葬祭や制服でもないかぎり、「今日はこれを着なければいけない」ということはあまりありません。でも小説は、一冊ごとにストーリーが違うので、「あの話が読みたい」となったら、『あの話』しかだめなのです。
しかしそう言えば、それは単に優先順位の問題だ、と言う方もあるでしょう。お洒落が好きな方は、「今流行りのあれを着たい」と思ったら、どうしたって『流行りのあれ』がいいのですもの。その意見にも、納得です。結局私は、どちらの気持ちもなんとなくわかるので、どっちつかずになっています。本を優先するときもありますし、逆に洋服を買いまくるときもあるのです。
それこそまさに、気持ち次第。こだわりなどありません。ですが、好きだからそれを最優先にするというストイックな行動はなかなか難しいので、このくらいでまったり過ごしていくのが、気楽でいいなあと思っています。

年齢制限は人を守る

映画には内容により、視聴する年齢に制限がある作品があります。R12やR15などです。しかしこれって、小説や漫画では見たことがないような気がするのですが、気のせいでしょうか。ちなみに18歳の年齢制限は、どちらでもよくありますね。
たぶん映画にする場合、「こういう場面があったら15歳以下には見せてはいけない」という明確なラインがあるのでしょう。小説の場合は何が書かれていも、文章を理解する基礎能力がなければ、内容がわかりません。漫画も、刺激的なシーンは、わかる人だけイメージが伝わるよう、あえてぼかして書くことができます。でも動画は、誰にでも映像や声でダイレクトに伝わりますから、その決まりも厳しい……ということでしょうか。
もしかしたら私が知らないだけで、小説や漫画にも細かな制限があるかもしれませんが、とても不思議だと思いました。ただこうして若年層の感性、あるいはクリエイターの社会的評価を守るということは、とても大切ですよね。若い子は強烈なものを見て、ショックをうけくてすむし、クリエイターは表現を制限しなくてもよくなります。変な言い方ですが、遊園地にある絶叫マシーンに「心臓の悪い方やお年を召した方は云々」と書いてあるのにも近い防衛だと思いました。

お風呂で読書の失敗談

お風呂に入りながら本を読んでいたら、うっかりして、見事に水没させました。お気に入りだったのに、なんということでしょう。慌てて拾ってバスタオルで包み、自分はびしょびしょのままドライヤーで乾かそうと試みたのですが、分厚い本が、その程度で復活するはずはありません。結局、波打ったごわごわの物体になってしまいました。
途中、「そういえば昔お札が濡れた時は、窓ガラスに貼りつけて乾かしたなあ」と思ったりもしたのですよ。でもまさか、ページをはがしてそうするわけにはいきませんしね……諦めて、もう一冊購入しようと思います。そして今後は、浴室にはお気に入りを持ち込まないようにしましょう。今回はまた買える漫画だったから良かったけれど、絶版本とか販売時期が過ぎた雑誌などだったらと思うと……怖いですね。二度と手に入らない恐れがあります。
そこまで考えて、そう言えば以前友達が、スマホをケースに入れてお風呂に持ち込んでいると言っていたなあと思いだしました。本も袋に入れればいいかもしれません。半身浴が流行った時に、雑誌を読みながら……なんてことも言われていましたから、調べれば専用の物があるのでしょうか。せっかくなので、これを機に、ちょっと探してみようと思います。

ブックカバーの模様を熟考中

先日購入した本の装丁が、白色メインだったので、カバーを付けた方がいいかしらと考えています。うっかり何かをこぼしたりして、汚してしまったらショックですものね。でもカバーを付けるとしたら、どんな模様がいいでしょう。今我が家にあるのは、花柄模様と、ストライプ、あとはモスグリーン一色の三枚です。これは全部、いただき物の包装紙でした。
わたしは貧乏性なのか、ついこうして、綺麗な物を集めてしまう習性があります。この間は貰ったお菓子に入っていたお店のカードが可愛かったので、パンチで穴を開けて紐を通して、しおりを作りました。これだと、思い出も一緒にとっていける気がして、後から見た時にとても楽しい気持ちになることができるのですよ。
ほかに最近作ったものは付箋や消しゴム、シャープペンの替え芯など、小さくて雑多なアイテムを入れる箱です。これは折り紙を折る要領で、やっぱり綺麗な紙で作りました。ただ薄い用紙だったので、いつまでその形を保っていてくれるか……今度はもう少し厚い用紙で作りたいところですね。それか補強を兼ねて、折ったところに糊付けをしてもいいかもしれません。ちょっとした手作りは、気分転換にもなって面白いですよ。お勧めです。

読書家あるあるの病

パソコンの使いすぎがいけないのか、それともスマホをずっと持っているのが負担なのか、左手が痛くて困っています。仕事上どうしても避けられない状況で……というなら「大丈夫?頑張りすぎないでね」と同情してもらえもするでしょうが、私の場合は、電子書籍の読みすぎなのですよね。一度夢中になると、ついつい何時間も読み続けてしまうので、それがいけないとはわかっています。
ただそれでもやめられないのが、好きなことなのです。とりあえず、腱鞘炎のツボを調べて、マッサージしています。これで良くなってくれればいいのですが……駄目なら湿布でもはってみましょうか。それともお灸やハリがいいかしら。今電子書籍にはまっている人には、手の痛みには注意してくださいねと、声を大にして言いたいです。
しかし逆に考えれば、そんなに読み進めてしまうほど素敵な作品に出会えたことは、とても素晴らしいことでもあるでしょう。大事なのは、自分の節制と体を気遣う心遣い。読書なんて絶対に負担が少なそうな趣味でも、こんなことが起こるとわかった今、本当に気を付けなくてはいけません。適当に腕と目を休めつつ、筋肉が固まらないようにストレッチも挟んだりして、楽しい時間を味わって行きたいと思います。

映像と本で完全理解

懐かしい本を読みながら、ふと思いだしたことがあります。この作品が映画になった時に、それを見た友達が帰りに我が家に寄って、ひたすら感想を喋っていった時のことです。私はもう既に見ていたのでネタバレも気にせずに、それこそ立て板に水のごとくでした。彼女もやっぱりそんなに感銘を受けたのかと、ずいぶん嬉しい気持ちになったのを覚えています。
ひとしきり話した後でジャスミンティーを飲み、ほっと一息ついてから、彼女がお土産に持ってきてくれたクッキーとカツサンドでランチタイムにしました。一緒に映画に行く時はカフェでランチが定番ですが、周囲の目も気にせずにくつろぐのもいいものでしたね。
その後は、冒頭に書いた今回の映画の原作本を彼女に貸して、お別れです。映像化をすると登場人物の姿が見えて声も聞こえますから、二次元の世界でしかなかった本を読んでいる時よりも、イメージがクリアになります。それはとても喜ばしいのですが、反面では、短い時間できゅっとまとめるために、心情やエピソードがわかりづらくなったりするのですよね。だからそれを補うためにも、彼女にはぜひ原作を読んでほしいと思いました。案の定、気に入ってくれたので良かったです。

読書という平和な趣味

最近、読むスピードが追い付かない勢いで本を買ってしまっているせいで、積読がどんどんたまっていっています。しかし私は、本来ならば反省しなければいけない状況にも関わらず、机の端に詰まれた山を見ると「私の知らない世界が、まだこんなにたくさんあるんだ」と幸せを感じるのです。そしてこの山がなくなってしまうことが、恐怖にすら思えます。今まではこんな気持ちになったことはないというのに、どうしたことでしょう。
単に活字が恋しいのか、それとも心躍るストーリーで、現実逃避したいのか。後者ではないと言いきれないところが辛いところです。でも本を読んで幸福に浸れるのならば、ある意味平和なことだと思います。だって、読書はひとりきりの世界ですから、誰にも迷惑はかけませんもの。
面白い話と大好きな音楽、そして美味しいお茶があれば、どんなに疲れることがあった日でも、私の心は癒されます。どこかに遊びに行って高額の物を衝動買いしたり、美味しい物を食べすぎて胃を痛める心配はないのです。こう考えれば、読書がいかに平和な趣味か、誰にでもわかることでしょう。いくつになっても続けられるこの楽しみを、そしてそのための時間を、今後も守っていきたいものです。