成長を見守る距離に立つ

先日、小さな子供がいる友人が、フォトブックを作ったと見せてくれました。写真屋さんにお願いしたのだそうですが、今はこんなに素敵なオリジナルができるのですね。その中には確かに、仲良し家族の日常がつまっていました。息子さんはまだ三歳。こんなにも素敵な笑顔を見せてくれるのは、相手がお母さんだからでしょう。
私はクリスマスに、その子に三回、絵本を贈っています。はい、毎年ということです。家が近所でよく会うので、まるで親戚の子のような距離感なのですよね。この前のクリスマス、その子は「ありがとう」と言って、私を描いたのだという絵をくれました。とっても嬉しかったので、それをコピーして、文庫本のブックカバーにしましたよ。親戚の距離どころではないですね。作ってから思いました。
そんなあの子も、あと何年かして小学校に通うようになれば、私を遊んでくれる機会は減ってしまうでしょう。でも、ママの友達といるよりは、同世代のお友達といるほうがぜったいいいはず。そんな『近所のおばちゃん離れ』を寂しいと思いつつも、早く立派に成長してほしいと感じています。ただその頃になっても、クリスマスに本を贈ることは続けていきたいな。せめて、思春期になるまでは。

デザインの必要性と重要性

先日、写真集をデザインしたというデザイナーの方にお会いしました。なんと、一ページずつ全部、細かくチェックを入れるのですね。どのページにも同じように並んでいたので、私はてっきり、一枚分だけいろいろと指定して、あとは機械で作るように、自動的にできるものだと思っていました。デザイナーさんすみません。お仕事、知らなすぎでした。
しかしそれを聞き私は、今はたいていのことはコンピューターでできる時代だけれど、最終確認は、人の目なんだなあとも感じました。「これとまったく同じように、あと作っておいてね。よろしく」ってできれば簡単なのに。それとも、あえて手作り感を大事にして、まったく同じにはしないのでしょうか。たとえばこれが写真集ではなくて小説だったなら、文字は機械で自然に挿入されますから、そこまで細かなデザイン重視にはならないと思います。
ただもしかしたら、文字の指定とかが詳細に必要かもしれませんね。ただの小説ならばいいけれど、雑誌やムック本だと、いろいろなタイプの文字を使っている物がありますもの。あれ、でも雑誌などは写真と同じ、目で楽しむタイプのものということになるのかしら。なんだか頭がこんがらがってきました。

特典選択が悩みの種です

先日新刊の小説を買おうとしたら、購入する書店によって特典が違うのだと聞き、驚きました。今までDVDやブルーレイ、CDなどではそういうことがあったけれど、本ではなかなか見たことがなかったからです。しかし、悩みますね。
特典はたいていショートストーリーが多いような気がしますが、やっぱりどの話も読みたいじゃないですか。でも小説本体は、一冊あれば十分なのです。複数購入し、多くなってしまった分を古書店に売れば経済的なのでしょう。でもそれも作者さんに申し訳なく……結局そのときは、友達と話を合わせて違う特典のものを買いました。
ひとりが複数購入するかもしれない、あるいは、特典のどれかが買い手の心にビビッとヒットして、もともとは「今回はいらないかな」と思っていた人の気を引けるかもしれない、という、出版社サイドの策略でしょう。まったく、いい案です。だってこうして、ついついたくさん買っちゃおうかなって思わされてしまうんですもの。でも、作家さんはいろいろなショートストーリーを書かねばならず、大変ですね。それとも、長い本文を仕上げた後だから、短文ならばそれほど苦労なく書きあげられるのかしら。どちらにせよ、今後も私は、どれにしようかなと悩むことになるのでしょう。

負担を減らして読書復活

以前まで毎日一冊は必ず本を読んで、ブログに感想を書いていた友人が、いきなり更新をやめてしまいました。もしかして急に体調でも悪くなったのかもしれない……。そう思い数日後に連絡を取ってみると、彼女の体はいたって元気の様子。ただ、毎日更新していたブログや、その事前段階としてつけていた読書ノートが、面倒なものに感じられるようになったのですって。それを書かなければと思うと、どうしても本に手が伸びないのだと言っていました。
それを聞き、私は「それならノートもブログも書くのやめちゃえば」と提案しました。これまで続けてきたものをやめろと言うなんて、無責任だと思われる方もあるかもしれません。しかし彼女自身が嫌だと思い、それで大好きな読書もできないくらいになっているのならば、やめたっていいと感じたのです。だってそれは、お金を貰っている仕事ではなく、義務ではないのですもの。
彼女は私の言葉を聞いてすぐに、ぱっと顔を輝かせました。「そうだね、そうしようかな!」誰かが背中を押してくれるのを、待っていたのかもしれません。彼女の感想を読むことはできなくなってしまったけれど、大事な友達の趣味が復活するのだと思うと、とても嬉しいです。

読書好きなあの子の未来

この間遊びに来た親戚の子のほっぺたに、畳の跡がついていました。相手は幼児ですから、きっと畳に頬をくっつけて、お昼寝でもしてしまったのでしょう。想像すると愛らしく、微笑が漏れてしまいます。子供時代は、私もそのようなことがよくありました。夏休みに、ごろごろ寝転がって読書をしていたら、いつのまにか眠ってしまったりということです。今はどうでしょう。ベッドやソファで休む人が増えているイメージなので、そんなことはないのかしら。
読書ばかりしていた昔は、同じ姿勢を長時間続けることも多く、足もよく痺れていたものです。しかしその経験のおかげで、大きくなったときには、長く正座をしても平気になっていました。友達には「なんでどうして?」と聞かれたけれど、いつの間にかそうなっていたので、わかりません。
ふと、こうして何気ない習慣が、私をつくっているのだなあと気付き、なんとなく不思議な気持ちになっています。畳の跡も、正座も、今となっては縁遠いもの。でもやっぱり、私は今も、あまり足がしびれません。跡は年のせいか、いったんつくと消えにくくなりましたけどね。可愛いあの子も、いつかはそうなるのでしょう。今は毎年誕生日に絵本を贈っているその子が、そのときも、本好きでありますように。

優先順位は人それぞれ

私の知人は、とにかくファッション用品を買いません。一点豪華主義なのではなく、着れるうちはとことん着たおす主義なのです。その理由は単純明快、「服より小説を買いたいから」というのですから、同じ読書好きとしては頭が下がります。彼女曰く「着るものは代用が聞くけれど、本はそうはいかない」のだそうですが、確かにそうなのですよね。冠婚葬祭や制服でもないかぎり、「今日はこれを着なければいけない」ということはあまりありません。でも小説は、一冊ごとにストーリーが違うので、「あの話が読みたい」となったら、『あの話』しかだめなのです。
しかしそう言えば、それは単に優先順位の問題だ、と言う方もあるでしょう。お洒落が好きな方は、「今流行りのあれを着たい」と思ったら、どうしたって『流行りのあれ』がいいのですもの。その意見にも、納得です。結局私は、どちらの気持ちもなんとなくわかるので、どっちつかずになっています。本を優先するときもありますし、逆に洋服を買いまくるときもあるのです。
それこそまさに、気持ち次第。こだわりなどありません。ですが、好きだからそれを最優先にするというストイックな行動はなかなか難しいので、このくらいでまったり過ごしていくのが、気楽でいいなあと思っています。

年齢制限は人を守る

映画には内容により、視聴する年齢に制限がある作品があります。R12やR15などです。しかしこれって、小説や漫画では見たことがないような気がするのですが、気のせいでしょうか。ちなみに18歳の年齢制限は、どちらでもよくありますね。
たぶん映画にする場合、「こういう場面があったら15歳以下には見せてはいけない」という明確なラインがあるのでしょう。小説の場合は何が書かれていも、文章を理解する基礎能力がなければ、内容がわかりません。漫画も、刺激的なシーンは、わかる人だけイメージが伝わるよう、あえてぼかして書くことができます。でも動画は、誰にでも映像や声でダイレクトに伝わりますから、その決まりも厳しい……ということでしょうか。
もしかしたら私が知らないだけで、小説や漫画にも細かな制限があるかもしれませんが、とても不思議だと思いました。ただこうして若年層の感性、あるいはクリエイターの社会的評価を守るということは、とても大切ですよね。若い子は強烈なものを見て、ショックをうけくてすむし、クリエイターは表現を制限しなくてもよくなります。変な言い方ですが、遊園地にある絶叫マシーンに「心臓の悪い方やお年を召した方は云々」と書いてあるのにも近い防衛だと思いました。

日本の漫画は外国でも愛される

先日漫画家さんが、外国語に翻訳された自分のコミックスを配っていました。献本が複数あるから、どうしても溜まってしまうので、親しい人や欲しい方にプレゼントしていたのです。たしかにいくら自分が描いたものをはいえ、そんなにたくさんあっても……ってなりますよね。それにたとえ読めなかったとしても、外国語の漫画なんて貴重ですから、ファンにとっては宝物になるでしょう。
そういえば前にラジオで、日本のアニメは海外でも有名だという話を聞きました。大人でも熱烈なファンがいて、日本人がその作品を話題に出すと「自分はいかにその作品が好きか」を熱く語ってくれるのですって。そのような現状だから、日本語の漫画がどんどん翻訳されるのですね。ただ台詞はいいけれど、コマのなかに書かれた文字は訳すのが大変だと聞いたことがあります。効果音は各国で違うのかしら。
ちなみに動物の鳴き声は、海を超えると違うそうですね。こちらではコケコッコーと鳴くにわとりも、どこか別の場所だと案外大人しかった気がします。詳しいことは忘れてしまったけれど、それを聞いたときにかなり驚いたことだけ、覚えているのですよ。文化を超えて広まる漫画はまさに、異文化コミュニケーションと言えるでしょう。

子守りはママとタブレット

近所に住んでいる幼稚園児が、ママのタブレットを使って、電子書籍で絵本を読んでいました。そんな時代になったのかと感心していたら、幼児はしっかり操作して、朗読機能を使い始めたのですよ。なるほど、最初は読んでいたわけではなく、画面をじいっと見つめていたのですね。まったく感心してしまいます。
その子のママは、となりで息子を観察しつつ、これまた電子書籍で読書をしていました。ちなみにこれは、病院の待合室のことです。まったく、便利な世の中になりました。ただ母親に絵本を朗読してもらって育った年代としては、ちょっと寂しい気もします。でもみんながこの状況に満足しているのならば、問題はありませんよね。家や幼稚園では、大人が読み聞かせをしているのかもしれませんし、もしかしたら兄弟と一緒にページをめくっているのかも。想像するとあまりに愛らしく、思わず笑みがこぼれました。
そんな私の前で、たぶん友達でもない小さな子が、その子のタブレットを覗きこみました。考えていたのとまったく同じことが起こり、どうするのかと見ていたら、大人しく並んで画面を見入っています。その上からママさんも見つめていて、傍から見ていてとても愛しく感じました。

芸術の域に到達した絵本

先日出掛けた帰り、ふらりと訪れた古書店で、飛び出す絵本を見かけました。小さな子供が遊ぶようなタイプではなく、もはやそれ自体が芸術と言っても過言ではない、非常に緻密な造りのものです。部品がとても細かいので、たぶんちょっと変な方向から力を込めたら、くしゃりと潰れてしまうでしょう。
ぜひ我が家に飾りたいと思ったのですが、これはガラスケースに入れないといけないタイプだとすぐわかりました。だってページを開いたままにして、綺麗な絵の上に埃が溜まってしまったら、もったいないでしょう。そんなケースは我が家になく、設置する場所もないので、今回は泣く泣く諦めました。お財布の中身がちょっと心もとなかった、というのも理由のひとつなのですけれどね。
しかしあのような精緻な品が、まさか機械で作られているとは思えません。ページの印刷まではそうしたとしても、組み立ては全部手作業でしょうか。そうだとしたら、あの価格も納得できます。いえ、これでも安いくらいかもしれません。……そう考えると、やっぱりあの絵本が欲しくなってきました。なにせ古書なので、現物限り。まだお店に残っているでしょうか。ちょっと時間を見つけて、早々に行ってみようと思います。