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資格試験の学びの前に

もうだいぶ前のことですが、友達に借りた資格試験の関連本に、びっしりと書きこみがしてありました。それを見て思いだしたのは、学生時代に使っていた教科書です。英語とか、訳を書きこんでいたんですよね。ただし彼女の物に書かれていたのは、当然日本語訳などではなく、内容を読んで気付いたことのようでした。こんなに文字があったら、本文を読むのが大変なんじゃないかしら、と心配になるくらいの分量。どうやら友人は、とても熱心に勉強したようです。
私も彼女に負けないよう、そして試験に合格できるよう、一生懸命頑張らないといけません。その後、借りた物を読み込むこと数日間、私はやっとステップアップして、もうちょっと難しいテキストを購入しました。実は借りたのは、初心者より前の人が読む、諸学のための導入編だったのです。
勉強の前に勉強しなければいけないというのは、なんとも切ないことですが、それだけ初歩の知識が不足しているのですから、しかたありません。それに今は合格している友人もこの段階から始めたと思えば、落ち込む理由はないのです。まずは一歩、前に進みましたしね……ということで、本格的な学習をスタートしましょうか。目指せ一発合格、です。

彼女が落語にはまった理由

友人が、落語を好きになりました。友達の付き合いで寄席に行ったのがきっかけだそうです。大きな装置があるわけでもなく、舞台に一人現れた着物の男性が、話しひとつで皆を笑わせる姿が、とても印象的だったのですって。さすがに有名な方となればチケットをとるのは大変ですが、趣味でやっている方を含めれば、毎月いろいろなところで、寄席は行われています。今はそれを調べて、近隣を熱心に通っているのだそうです。
ちなみに著名な落語家さんのCDも揃えたそうですよ。音楽には全く興味のない彼女が、そのために携帯の音楽プレイヤーを買ったというのですから、驚きです。それを毎日通勤しながら聞いていると、仕事で嫌なことがあっても、どうでもよくなってしまうと言っていました。
これほどまでに夢中になれるものがあるというのは、なんて幸せなんでしょう。私は本を愛していますけれど、ここまで一途になったことは、最近はないような気がします。だって、嫌なことがどうでもよくなるなんて、すごいですよ。私の場合は、落ち込んだ気持ちが明るくなる話はあっても、怒りが飛ぶものはありません。私もいつか、彼女ほどにはまれる作品に出会えたらいいなあと、心の底から思いました。

結婚の先にあるもの

少し前、知人女性が結婚しました。花嫁さんというのは、どうして皆美しいんでしょうね。白いドレスに身を包んだ彼女は、まるでどこかの国のお姫様のように見えました。親戚らしい小さな女の子が、くっついて離れなかった理由もわかります。きっと「私もこんなきらきらのドレスが着たい」と思っていたのでしょう。その子もピンク色の洋服を着て、とても愛らしかったのです。
しかしこうして知り合いの式に出る度に、私はこれがゴールではないのだよなあ、としみじみと思います。たとえば「昔々あるところに」で始まるお話の多くは「そして王子様とお姫様は結婚して、幸せに暮らしました」といったふうに終わるものが多いです。もちろん子供の頃は、それを信じていました。でも結婚生活の後には、子育てがあったり親の介護があったりと、難関はまだまだやってきます。むしろ式の当日が、幸福の絶頂じゃないのかと感じるほどです。
ただ私は、その後に続く話の方が好きだったりするのですよね。たとえば日々の生活を描いた日常エッセイは、恋愛小説よりもよほど親しみが持てます。恋が萌える幸せだとしたら、生活はたゆたう幸せ、と言いたいかな。時折は荒れる水の流れに、それでも身を任せ、家族とともにある……憧れです。

読書で心洗われる時

ふと、私が初めて感涙した本は何だろうなあ、と考えています。子供の頃は、それほど涙は流しませんでした。たぶん学生時代も、面白いとわくわくする気持ちが先に立っていたでしょう。しかし今は、何気ない日常の場面でも、目頭が熱くなってしまうことがあるんですよね。これが年齢を重ねるということでしょうか。
最近一番泣いたのは、家族の食事のシーンでした。普通に食卓を囲んでいて、特に嬉しいことも悲しいこともない、淡々とした時間です。前後で悲しいストーリーがあるわけでもないのに、とても感動してしまって……もしかしたら私、疲れているのかもしれませんね。ここは一度、ぜったいに笑えるコメディ路線の漫画を手に取るべきでしょうか。
ただ、どんな感情にしても、本から感じとることができる、というのは素晴らしいと思います。だって泣けば心が洗われた気がしますし、笑えば活力が生まれます。怒りや悲しみはたいていその場限り、その後の山場のシーンへの途中のことが多いので、最終的には感動や喜びに変わりますからね。深く考える必要は、あまりありません。ひとりの時にこそ、読書で気持ちを発散させて、皆の前では、いつでも落ち着いた自分でいられるのが理想です。

電子書籍、読まずに学んだのは我慢

近所のスーパーで、ビンゴになっているスタンプを集めてどこかのラインを揃えると、該当のものが貰えるというキャンペーンをする時があります。「ここのマスを揃えたい」と思ったら、そのスタンプが貰える日にちに、お店を訪れなければいけないわけです。これは簡単なようで案外難しく、いつもつい、真剣に予定を組んでしまいます。そんなことが先日、電子書籍サイトでも起こりました。
そこも同じようにスタンプを集めるのですが、これがなかなか曲者なのですよ。サイトを見る時間を作るのが、ではありません。そのページを見るとつい新刊をチェックしてしまい、予定にはなかった本を購入してしまうのです。もちろん、運営側はそれが狙いなのでしょう。しかしお小遣いが有限の私からすれば、なかなかに大変な問題です。
もちろん、買ったらしっかり楽しめますから、それはそれでいいのですが、その後の暮らしが……と考えると、思わずため息も漏れそうです。要は自制心のない自分がいけないということですね。これを機に、生活は節約を、心は我慢を覚えましょう。電子書籍のサイトで、まさかこんなことを学ぶ事になろうとは思いませんでした。なんでも自分の糧、勉強になりますね。

自宅の衣装で華やぐ心

この間おもちゃ屋さんで、子供のコスプレ衣装が売られていました。魔法少女やお姫様のものです。このような服を着るのはハロウィンくらいじゃないのかしら、と思いがちですが、お店には年中ありますから、たぶん誕生日などにも使用するのでしょうね。大人がパーティーグッズではしゃぐのと、同じかもしれません。
ただ、私達の場合は、どうしても恥ずかしさが先に立ちます。たとえばテレビに出ている女優さんの服装がとても素敵で、どこのブランドのものかわかっていても「でも一緒のものを買ったからといって、あの人みたいに似あうわけじゃないし」なんて考えて、結局着ない人はたくさんいるでしょう。それに、お姫様や魔法少女なんて、絶対無理です。ただ私は、それっぽい格好を楽しむのはありだと思うんですよ。
憧れのキャラのイメージの色を取り入れてみたり、普段の自分なら選ばないようなタイプのパジャマを選んでみたり。いっそのこと、部屋着は年齢とか人の評価を考えない、というのもありですよね。誰に迷惑をかけるわけでもないし、それで自分が楽しく幸せになれるのならば、とても素敵なことです。ただ、宅急便が来たときなど、万が一の突然の来客時には、相当焦ることになりそうですけれども。

なりきり子供の装い

先日、友達と商店街を歩いていたら、風船で作った剣や仔犬を持って歩いている子供達がいました。何事かと思ったのですが、どうやら近くでバルーンアートの実演をやっている方がいたようです。子供の父親が、空気の入った剣でぱちぱち叩かれていたので、大変だなあと思いながら見ていたら、彼は一言「いつもよりも痛くなくていいね」と。普段はおもちゃの武器が相手なのかしら。思わず笑いそうになりました。
そういえば私の親戚の子たちも、幼少時代は保育所で、たくさんの武器を作ってきたものです。それはたとえば、新聞紙を丸めて作った刀だったり、段ボールの板に持ち手を付けた盾だったり、装備品としてくくるなら、ビニールシートにマジックで模様を描いたヒーローマントや、髪を頭のサイズに丸めた王冠もありましたね。男の子も女の子も、工作が大好きで、自宅に戻ってからは、なりきって遊んでいたものです。
やっぱり、アニメや絵本の影響で好きになるのでしょうか。ただ、節分の日の鬼のお面や、ハロウィンの時のお化けの装いは結構怖いデザインの物もあり、驚いてしまいます。子供って案外ちゃんと、まわりを見ているんですよね。その時のイメージをしっかりつかんでいるので、すごいなと思いました。

私のイメージは折った鶴

細ねぎの入った卵焼きを作る時はいつも、祖母を思いだします。彼女は毎日の祖父のお弁当に、必ずその一品を入れていたからです。その他、ずいぶんと長い間本棚に並んでいるシリーズのひとつは親友の、すっかり色あせた絵本は、保育所の先生の記憶を呼び起こしますね。前者はともに先を予想し合って、競うようにして新刊を読んだ作品で、後者は、何度もお願いして読んでもらった話です。
このように何かを見て、特定の誰かを思いだすのは、その物の中にその人が生きているような気がします。日本には長く使ったものに神が宿るという、付喪神の考え方がありますけれど、それに近いような……というと、さすがにおかしいでしょうか。でもそれくらいいつも、私は彼らを連想するのです。今は会う機会が減っていたり、会えなくなったりしていますが、彼らは、今ここにいる私という人間を形作るためには、確かに必要な人達でした。
ちなみに友人の一人は、折り鶴を見ると私を連想すると言っていましたね。学生時代、お菓子の包み紙などで鶴を折って暇つぶしをする機会が多かったから、そのせいかしら。ちなみに一番小さなサイズは、飴の包み紙と同じくらいの大きさで作ったものでした。最大は、なぜか新聞紙です。

クリエーターは昼夜逆転?

先日、ライター業をしている友人が「この業界の人は、昼夜逆転の人が多い」と言っていました。そういえば、印刷会社に勤めている知人も、忙しい時期は「いったい何時から働いているの?」という感じですね。朝の七時前は、出勤時間なのか、それとも退勤前なのか……どちらだったとしても、かなり大変ではあるでしょう。
でも、ライターの彼女は子育て中のママでもあるので、本来ならば、夜は眠りたい人なのですよ。そうでなくては、昼間子供のお世話をしている最中に、眠くなってしまいます。ただ仕事の話が進むのは深夜、ということで、これまたかなり、大変な思いをしているそうです。作家さんや漫画家さんも、夜に働いているイメージですし、本当に「この業界の人は」となってしまう気持ちがわかりますね。
もちろん、朝方のクリエーターもいるでしょう。どなたか忘れてしまいましたが、とある方は、朝の四時に起きているのだとか。その時間だと余計な連絡は来ないし、外でする物音と言えば新聞配達くらいなので、とても集中できるのですって。その代り夜はとても早いので、飲み会などはどんなに頑張っても、一次会までとも言っていましたけれどもね。結局は、皆それぞれ、自分のパターンがあるということなのでしょう。

夢を生み出す作詞の心

先日、好きなアーティストの歌詞カードを眺めていて気付いたのですが、歌詞というのはとても詩に近いですよね。文章のように『これをした次の状況が、こうなっている』というような原因と結果がはっきりしているものばかりではないし、言葉選びもとても抒情的だからです。それに、これは詩とも違いますが、日本語と外国語が混ざっているものが多いのも、特徴かもしれません。
たとえば小説に突然英語が出ていたら、登場人物が外国人とか、店の看板の文字だったとか、何かしらの説明、それこそ先ほど書いた原因が必要になると思うのですよ。しかし日本語詞の中にいきなり英単語が現れても、それを何故?と感じる人はほとんどいないでしょう。これが作詞した方が音にのせるために選んだ言葉なのだと、納得するだけです。
同じように文字を羅列しているものなのに、こんなに意味が違うなんて。今まで全く気付きませんでした。そうなると、漫画の台詞やモノローグなども、よく考えれば、全く質がことなるものなのでしょうね。歌、小説、詩、漫画などなど。私にとっては何が一番ということはなく、その時々でどれを選ぶのはまさに気分任せだし、どれも感受性を刺激してくれる素敵なものたちです。