Category Archives: 向こう側

若者は未来を語るの実像

子供の頃、祖父母が若い頃の話を繰り返すのが不思議でした。私と友人達の話題と言えば、昨日見たテレビについてや、今日の授業のことに関してで、たとえば去年どこかに遊びに行ったことなどは、会話に出る機会が少なかったからです。それを祖母に言うと彼女は「あんたも年をとったらわかるよ」と笑っていました。そして今、当時の祖母ほど年齢を重ねたわけではないけれども、それをちょっと実感しています。なぜなら「昔ね」と語り出した自分の話が、それこそ子供にしたら大昔、十年くらい前の話題ということもあるからです。
以前どこかで『若者は未来を語る』という文言を見たような気がするのですが、その逆で、年を重ねた人は過去を語る、ということなのかもしれません。思い返す時期が長いから、自然とそうなるのでしょうね。そして若者は、夢見る将来がいくらもあるから、きっとそれを信じて希望を口にできるのでしょう。
もちろんこれは、一定年齢以上の人が、未来を夢見ることがないと言いたいのではないのですよ。あくまで、そういう理屈なのだろうかという想像です。その証拠に私の祖父は、毎日やりたいことがいっぱいで、それこそ子供だった私よりも忙しくしていました。

すべては写すことから始まる

多くの漫画家さんは幼い頃から絵が好きで、たいていはお気に入りの漫画家さんの絵を模写するところから、作品作りが始まることが多いようです。だから最初のうちは、憧れていた誰々さんのような雰囲気になったりもするらしいですよ。そこを超えた後に個性が生まれ、その人独自のイラストになるのだと、創作活動をしている友人が言っていました。
この話を聞いた時私は、最初は誰でも、人を真似することから始まるのだな、と納得しました。だって、私が大好きなミュージシャンも始まりは有名アーティストの楽曲をコピーしたらしいですし、小説家の方も、文体模写を経験している方がいらっしゃいます。そうでなくとも、私達はみんな親の行動を真似ることで、生活に必要ないろいろな物事を覚えていくわけです。そう考えると、憧れや尊敬という気持ちは、何より強いと言えるでしょう。
ただこのことに気付くと、先駆者と呼ばれる人たちが、いかにすごいかがわかります。目の前に追いかける人がないということ、すなわちそれは、言動を写す対象がいないということですもの。同じ意味で、業界初、なども見事なのでしょうね。前に立つものがあるにせよないにせよ、作品を作る人たちの情熱は、本当に尊敬に値します。

涙を流して心を洗おう

本を読む気にもなれず、テレビをつけても流しているだけ。それなのに気持ちがいらいらして落ち着かない時、「耳が痛くならないくらいの音量で、ヘッドフォンをして音楽を聞くと、ストレス解消になるよ」そう教えてくれたのは、友人でした。以来私は、自分が疲れているなと感じると、そのようにしています。
そうすると不思議なもので、ぼろぼろと涙がこぼれるのですよ。毎日スピーカーで聞いているのと同じ曲なのに、何か違うものを感じ取るのでしょうか。それとも、作業をしながら聞くのではなく、その曲だけに集中して、耳を傾けるというのがいいのかしら。理由はよくわかりませんが、ずいぶんすっきりできるのは確かです。
私の場合は、音楽のジャンルにはこだわらず、その時に夢中になっているものを選ぶので、フォークやジャズ、ロックなど様々です。ただ友人はバラード調がいいと言いましたし、別の子は、感情が爆発するような激しいものがいいということでした。まさに人それぞれですが、共通しているのは、皆、なぜか気付くと泣いてしまっているということ。毎日繰り返しの日常の中でも、胸に溜まるものがあるのでしょう。この方法で癒されて、また明日も頑張ることができればなあと思います。

些細な現実から広がる想像

指先の一か所がかゆくて、でも虫に刺された様子はなくて、何事だろうと目を凝らしてみたら、皮一枚がすうっと細く、切れていました。きっと紙を扱った時に、怪我をしたのでしょう。このようなことは案外多く、血も出ない癖に水がしみる気がするのが、不思議なものです。それとも自分が気付かないだけかしら。
でもこれくらいでも痛いことを考えると、今読んでいるファンタジー小説で、剣で斬られてしまった騎士は、いったいどのくらい辛いのでしょう。比べるレベルが違いすぎることは承知の上で、そんなことを考えました。よく何事も経験がなければ書けない、という人もいますが、私は絶対に、そんなことはないと思います。だってこのかっこいい騎士を書いている作者の方が、剣を振るって敵と戦った過去、ましてや傷を負ったことがあるなんて、到底思えませんもの。でもこんなに素敵な場面ができあがるのですから、やっぱり大事なのは、想像力ではないでしょうか。
さて、そうやって熱く語ったところで、その小説の世界に戻りましょう。危機を乗り越えた彼は、この後どんな道を進んでいくのか。自分の擦り傷の痛みから、私も想像が広がります。きっと苦労している彼には、最高の舞台が用意されていることでしょう。

新米ママと絵本の出会い

図書館に行った時、小さな子供を抱いたお母さんたちが、みんなお揃いのバックを持っていることに気が付きました。ちらりと見えた中には、借りてきたらしい絵本。どうやらバックは、図書館の読み聞かせ企画で配られたものらしいのです。児童書コーナーに行った時、募集版にそのような広告が貼られているのを見ました。
そう言えば、どこかの外国では、新生児向けにファーストセットなるものがあるらしいですよ。生まれたばかりの赤ちゃんが必要とする物を一式と、絵本やおもちゃなどがセットになっていて、格安なんですって。それさえあれば、当座は大丈夫ということで、新しくママになる方たちに人気なんだとか。
日本でも、ファーストブックというのは見たことがありますね。何歳児向けの作品が揃っています、という企画です。どこで知ったのはかまったく覚えていないのですが、このようなものがあれば、子供にどんな物を読んであげたらいいかわからないという新米ママも、ひと安心でしょう。私の時は、祖母が大事に取っておいた誰かのお古を読んで大きくなりましたけれども、今は核家族が多いですからね。
小さな頃から本に親しみ、いずれは読書好きの子に育ちますよう。同じく読書が趣味の大人からの希望です。

資料も成長も一歩から

先日、文章を書くことを生業としている知人が「仕事の資料はまとめて買っちゃだめなんだよ」と言っていました。私は気に入れば、漫画や小説は作家買いをしてしまうこともよくあります。読んでも次があるというのは嬉しいですし、安心感もあるからです。
それなのになぜ資料はだめなんでしょう?不思議に思って聞いてみれば、「自分の理解度に合わせたものを手に取らなければ意味がないから」だそうです。一冊読了したら、次のレベルのものを読み、それが終わったらさらに次、難しすぎたら簡単なものに逆戻り、そのようにして、知識を育てていくのですって。なるほど、と深く納得しましたね。漫画や小説は、続き物だったり、そうでなくても内容にレベルが存在しないから、いっきに揃えてしまっても、問題が起こらないのです。
彼から聞いたことを、別の友人に話すと、彼女も「わかる」と言っていました。法律関連の勉強をしていた彼女は、最初は高校レベルの内容を復讐することから始めたのだそうです。それが今は、法に関する仕事をしているのですから、なんて素晴らしいのでしょう。結局は、どんなにすごい人達も、一歩一歩進んでいるということなのですね。私も見習わなくては、と思いました。

しみついた文法と言葉

大昔、文章には文節というものがあるのだと習ったことがあります。ただすらすらと文を読むようになってから、いちいち意識したことはありませんでした。それですっかり忘れていたのですが、つい最近、長く話すときなどは意識せずに、文節で区切っている自分がいることに気付いたのです。やっぱりそこが、一番切りやすいということなのかしら。変なところで区切ると、日本語は意味が伝わらなくなってしまいますからね。いわゆる「このはしわたるべからず」です。
それ以外にも、品詞も必死に覚えたものでした。知人の子供さんはそれを今学習中です。これも、大人になっても役に立つのかしらと考えてみたけれど、こちらは実感がありません。名前もいくつも忘れてしまっても、スムーズに使えるのが、さすが母国語といった感じです。
日本は島国で、昔からいわゆる大和の国民がメインに生活しています。しかし土地が続いている外国は、隣接する国の人と話すために今でも、何カ国語も扱えるのが当然というところもあるでしょう。そういう人たちの思考は、一体どの国の言葉が中心になるのでしょうね。やっぱり母国語なのかしら。その人たちも、文法は体に染みついているのだとしたら、とてもすごいことですね。

途中経過と完成作品

時々、映像作品のシナリオや絵コンテが本になり、出版されることがありますね。以前は、わざわざこれを買う必要があるのかしら、と思っていました。しかし友人に借りてそれを読んだ時、これは映像とはまるで違うのだと気が付いたのです。たとえばシナリオならば、当然、同じ言葉が書かれています。しかしそのすべてを、きちんと耳で聞いているのかといえば、必ずしもそうとは限りませんよね。登場人物の表情や、声以外の音などに気をとられる場面もあるからです。
そして絵コンテの場合は、もうまるで別物としか言えません。それはそうですよね。絵コンテというのは、いわば下書きのようなもの。ここがスタートで、完成に近づいていくのですから。はっきり言えば、プロの世界を知らない私には、雑なお絵かきにも見えます。でも逆に、大雑把だからこそ、関わる方たちの苦労が想像できるのです。私達の目に入る完成版が、とても愛おしく、大切なものにも思えます。
残念ながら、それらの本が出版されるのは限られた作品だけですから、いつも手に入るものではないでしょう。しかし機会があったら、一度見てみる価値はあると思います。私はある意味、カルチャーショックを味わえました。

過去と今が生み出す未来

いつだったか、テレビに出ていた俳優さんが、自分の出てきた作品は全て録画して保存してある、と言っていました。その方はもう結構な年齢の方でしたから、きっと相当な分量になっていることでしょう。それを全部、と思うと、その方のプロ根性を尊敬せざるを得ません。おそらくは、自分の演技や発言を見て、ひとりで反省会を開いているだろうからです。
私の好きな漫画家さんも、押入れの奥には、今まで描いてきた原稿がすべて保存してあると言っていましたね。もうコミックスになっているのだから、元になったものはいらないのではないかという気がするのですが、それはあくまで素人考えなのでしょう。自分が歩いてきた仕事の足跡は、誰だって大事ですもの。ちなみにその人は、時々ひっぱりだしては、過去の自分にあったものや、今成長している事柄について考えているそうです。こちらも、向学心に満ちていますね。
俳優や漫画家など、いわゆる物事を生み出す人達は、このような上昇志向があるからこそ、より素晴らしい演技ができたり、素敵な作品が描けたりするのでしょう。私も日々、ある程度頑張ってはいるつもりですが、平々凡々に生活をしているだけではなく、ぜひ見習わなくてはと思いました。

コミック誌のはがきを求め

好きな漫画家さんの作品が、久しぶりに月刊誌に掲載されたと聞き、さっそくその雑誌を購入しました。すぐに読みたかったので、電子書籍です。ただ、いざ読み終えて「ああ面白かった」とアンケートを送ろうとしたところで、はたと気付きました。紙の雑誌ならば、切り取って、切手を貼れば送れるはがきがついているのに、電子版にはないんです。「これじゃ漫画家さんを応援できない」とだいぶ焦りましたが、冷静に考えれば、データにはがきがついていても、意味がないですよね。
 この出来事を友人に話したら、思い切り笑われてしまいました。あまりにも悔しかったので、今度からは必ず事前に情報をチェックして、最寄りの書店で売り切れてしまう前に、しっかりと紙のものを買おうと思います。保存などはデータの方が楽ですが、やっぱり気ままに読むには、紙媒体の方が便利な気がするのですよ。読了後は気になったところだけ切り取って、あとは廃品回収に出してしまえば、スペースもそんなに取りませんしね。自分はアナログ人間だなあと思っていたら、友達が「大丈夫、私もそうだから」ですって。ちなみに彼女はクローゼットに、手放しきれない雑誌がつまっているのだそうです。似た者同士、ですね。