Category Archives: 向こう側

映画と原作の攻撃力

ふと、最近の映画館は割引をしてくれる日が多いなあと感じました。もちろん、昔はもっとチケット代が安かったから、その方が便利だったという人もいるでしょう。でも、今は本当にすごいんですよ。時間帯や性別、年齢によって、多くの割引が設定されているのですから。レイトショーや午前中の一番初めの時間が安くなったり、レディースデイ・メンズデイ、シニア割などと呼ばれているのが一般的でしょうか。
映画館に行くときは、もちろんその日を狙って出掛けます。そうなったそもそものきっかけは、原作ありの作品が増えたことですよ。漫画や小説を読んで「これ面白いなあ」と思った話が映像化されたら、見に行かないわけには行かないでしょう。そして実際に行くと、まずは宣伝で予告編を見ることになりますから、そこで原作つきのものがあると、本を買ってまた上映を楽しみにし……という循環になるのです。
これぞ出版社、あるいは映画製作会社の策略?なんて思ってしまいます。でもこれで人生に楽しみが増え、生活に張り合いが増えるのだから、いいのですけれどね。ただ、素敵な作品が多い月は、お小遣いは厳しい状況になったりもするので、例の割引を使えるよう、日程を調整するのです。

きっかけ問わぬ貴重な縁

偉大な作家さんが亡くなると、時代も変わってきているのだな、と思います。作品はたとえ永遠の命を得て、後の世に残されたとしても、ご本人の命は永遠ではありませんからね。まったく、悲しいことです。しかし永遠に生きることができないからこそ、文豪たちは、素敵な話を書けたのではないかと思いもします。だって、今の生活がずっと続くと思ったら、どうしたってだれてしまいますもの。たった何十年という区切りがあるから、人は輝ける……そういう考えだって、ありでしょう。
それに中には、訃報でその方の存在を知り、作品に触れる人だっていますよね。私の友人が、そうでした。書店で平積みになっているものを買ったら、亡くなった作家さんの特集としてそう置かれていたものだったのですって。「こんな素晴らしい本を知らなかったなんて」と悔やんでいましたね。ただ「時期は遅かったけれど、出会えて良かった」とも言っていました。
今は出版される本も多いですから、書店で今日見かけたものが、一か月後には書棚に並んでいないということもあるでしょう。そういう意味では、作品や作家さんとの出会いは、まさに一期一会だとも言えます。友人のように、いつになっても、知りあえることに感謝するのがいいのでしょうね。

魔窟と化した、母の本棚

数日前、母の書棚を整理しました。きっかけは、借りた本が返ってこなかったことです。どうしても必要だから、返してほしい。そう言ったのに、母は探しきれなかったのですよ。いったいどうなっているのかと様子を見に行くと、そこはまるで魔窟のようになっていました。単刀直入に言って、ごちゃごちゃすぎてタイトルがまるで見えないのです。
奥行きの深い棚を使っているから、そうなってしまうのはよくわかります。でもそのうえ、隙間にパズルのように本を押し込んでしまうのはどうでしょうか。棚の一段が指の一本もはいらない状態なので、正直、一冊をとり出すことはかなり困難を極めました。それでもそのままでは困るので、指先に力を込めて、じりじりと少しずつ、引きだしていきます。やっと引っ張り出したときは、手の筋が痛んで大変でした。
その後「全部取っておきたい」という母を説得して、あまり読まない物はプラスチックケースに入れました。それをとりあえず部屋の片隅に積み上げ、棚は空気が通るようにお片付け。貸した小説を返してもらいに行ったのに、ずいぶん大掛かりな整理整頓になりましたね。私の書棚も綺麗とは言えませんが、ぜったいこうはならないぞ、と深く誓いました。

お姫様になるならば

先日、苦労をして有名になった方が無名時代のことを思いだし「お金がないと、気持ちがすさみます」と言っていました。まったくその通りですよね。よく愛がなくては生きていけないなんて言葉も聞くけれど、実際は、お金がなければ生きていけないと思います。現実でそう感じてしまうこともありますが、大富豪に見染められたお嬢様が幸福になる……いわゆるシンデレラストーリーを読んでいる時も、そう思います。
たいていヒロインは、苦労をしつつも前を向き、しかし心は寂しさや不安に満ちています。こまごまとした何らかの悩みを抱えていて、それをヒーローが解決してくれるのです。湖の流れは本当に、現実をある程度反映しながらも、最終的には読者に夢を与えてくれる、素晴らしい話だと思います。だからこそ王道の物語として、長く人々に愛されるのでしょう。
ただ残念ながら、現実はなかなかそうはうまくいきません。自らの努力や人々の協力によって、道を切り開いていく……そういう意味では、困難を乗り越えるという意味で、白雪姫ストーリーとかあっても良い気がしますね。愛に尽くす女性が主人公の話は、人魚姫ストーリーとかどうでしょう。でもやっぱり、シンデレラに憧れますが。

恐竜への道を開いた新聞

先日作家さんが、創造性を身につけるには、まずは多くの事柄に興味を持つことが大切だと言っていました。手っ取り早い方法は、見出しだけでもいいから、新聞を読むこと。それだけでも、世の中の流れがわかるらしいですよ。もちろん、これですべてを理解するというわけではなく、なんとなくでも基本の知識を知っていれば、そこが入口となり、それ以上のことも学びやすいということでしょう。
そういえば親戚が持っていた子供向けの新聞には、いろいろなジャンルの話題が載っていましたね。ニュースをわかりやすくしたもの、工作の作り方、とっさの英会話、歴史の漫画などです。パズルや漢字の成り立ち、身近にある化学について書かれていたときもありました。これだけ多くのジャンルが語られていれば、どんな子もなにかには興味を持つことができるでしょう。
ちなみに親戚の子は、その新聞に出ていた恐竜の記事に興味を持って自由研究で調べたら、先生にとても褒められたそうです。ちょっと大きくなった今は、化石を集めているのですって。今は恐竜と、その時代に関する本……地質などが書かれたものを読みあさっているそうで、将来は学者になるかもしれないねと親は楽しそうに笑っていました。

クリエイターは創造主

漫画家さんがイラストを描くのを見ていると、まるで魔法のようだなあと思います。真っ白な紙の上に、魅力的なキャラがすらすらと描かれていく……ゼロからの創造です。ただ、苦労なく絵を描いているように見えても、実際ここに至るまでは、長い積み重ねと努力があるのですよね。
これは何の業界でも、プロと呼ばれる人達には共通したことでしょう。たとえ体調が悪くても、気持ちがのらなくても、プロならばそれなりの結果を出さなくてはいけません。趣味で続ける人のように「今日は疲れているから、描くのをやめていこう」としてしまっては、締めきりに間に合わなくなってしまうからです。だからこそ皆、体調管理につとめる……のかと思いきや、昼夜逆転していたり、いっそ徹夜をしていたりと、無理を重ねている人が多い印象もあるのですけどね。
特に連載を持っている人は、ぎゅっと凝縮されたスケジュールで生活しているので、大変なのでしょう。もうあと削るところは、生命維持のための時間、すなわち睡眠や食事しかない、というところでしょうか。どうか無理をしないでほしいと思います。そしてできることならば、小説家さんの日常も見てみたいな。大好きなあの先生の暮らしに、興味があるのです。

完成品に、大感謝

いつだったか、大好きな作家さんがSNSで「修正作業中で、同じ文章ばっかり見ているので、とても疲れてきた」というようなことを言っておられました。私達読者は日頃、本になった完成原稿しか見ませんから、最終段階までに、何度修正が入るのかわかりません。しかしさすがに、一発ですべてが決まり、問題なく完成するということはないでしょう。きっと、関わるみなさんは大変だと思います。でも、皆さんがそうやって頑張ってくださるから、素敵な作品を読むことができると思うと、とてもありがたいです。
このように、成功に対して水面下の作業が多いのは、書籍の執筆だけではありませんよね。一枚のシングルCDを聞くのには、二十分もかかりませんが、曲を作って録音して……としている間は当然、二十分ではおさまりません。でも、歌手の方々はそうやって、ひとつの完成物を作るのです。そう考えると、本当に作品は無下には扱えませんね。
自室の書棚にしまったまま、長らく読んでいない本も、たまには読み返さなければいけない気持ちになってきました。かつてのお気に入りで内容も覚えているから、とりあえずしまっておけばいいや、ではなく、新たな発見を求めて、ページをめくってみようと思います。

成長を見守る距離に立つ

先日、小さな子供がいる友人が、フォトブックを作ったと見せてくれました。写真屋さんにお願いしたのだそうですが、今はこんなに素敵なオリジナルができるのですね。その中には確かに、仲良し家族の日常がつまっていました。息子さんはまだ三歳。こんなにも素敵な笑顔を見せてくれるのは、相手がお母さんだからでしょう。
私はクリスマスに、その子に三回、絵本を贈っています。はい、毎年ということです。家が近所でよく会うので、まるで親戚の子のような距離感なのですよね。この前のクリスマス、その子は「ありがとう」と言って、私を描いたのだという絵をくれました。とっても嬉しかったので、それをコピーして、文庫本のブックカバーにしましたよ。親戚の距離どころではないですね。作ってから思いました。
そんなあの子も、あと何年かして小学校に通うようになれば、私を遊んでくれる機会は減ってしまうでしょう。でも、ママの友達といるよりは、同世代のお友達といるほうがぜったいいいはず。そんな『近所のおばちゃん離れ』を寂しいと思いつつも、早く立派に成長してほしいと感じています。ただその頃になっても、クリスマスに本を贈ることは続けていきたいな。せめて、思春期になるまでは。

デザインの必要性と重要性

先日、写真集をデザインしたというデザイナーの方にお会いしました。なんと、一ページずつ全部、細かくチェックを入れるのですね。どのページにも同じように並んでいたので、私はてっきり、一枚分だけいろいろと指定して、あとは機械で作るように、自動的にできるものだと思っていました。デザイナーさんすみません。お仕事、知らなすぎでした。
しかしそれを聞き私は、今はたいていのことはコンピューターでできる時代だけれど、最終確認は、人の目なんだなあとも感じました。「これとまったく同じように、あと作っておいてね。よろしく」ってできれば簡単なのに。それとも、あえて手作り感を大事にして、まったく同じにはしないのでしょうか。たとえばこれが写真集ではなくて小説だったなら、文字は機械で自然に挿入されますから、そこまで細かなデザイン重視にはならないと思います。
ただもしかしたら、文字の指定とかが詳細に必要かもしれませんね。ただの小説ならばいいけれど、雑誌やムック本だと、いろいろなタイプの文字を使っている物がありますもの。あれ、でも雑誌などは写真と同じ、目で楽しむタイプのものということになるのかしら。なんだか頭がこんがらがってきました。

読書好きなあの子の未来

この間遊びに来た親戚の子のほっぺたに、畳の跡がついていました。相手は幼児ですから、きっと畳に頬をくっつけて、お昼寝でもしてしまったのでしょう。想像すると愛らしく、微笑が漏れてしまいます。子供時代は、私もそのようなことがよくありました。夏休みに、ごろごろ寝転がって読書をしていたら、いつのまにか眠ってしまったりということです。今はどうでしょう。ベッドやソファで休む人が増えているイメージなので、そんなことはないのかしら。
読書ばかりしていた昔は、同じ姿勢を長時間続けることも多く、足もよく痺れていたものです。しかしその経験のおかげで、大きくなったときには、長く正座をしても平気になっていました。友達には「なんでどうして?」と聞かれたけれど、いつの間にかそうなっていたので、わかりません。
ふと、こうして何気ない習慣が、私をつくっているのだなあと気付き、なんとなく不思議な気持ちになっています。畳の跡も、正座も、今となっては縁遠いもの。でもやっぱり、私は今も、あまり足がしびれません。跡は年のせいか、いったんつくと消えにくくなりましたけどね。可愛いあの子も、いつかはそうなるのでしょう。今は毎年誕生日に絵本を贈っているその子が、そのときも、本好きでありますように。