まるで見守る親の気持ち

以前、私の好きな作家さんが旅行に行ったらしく、SNSに写真を上げてくれていました。自分が行ったことがないところを、憧れの方の視点で見られるというのは、嬉しいものです。これをこのままブログにしてくれないかしら?と思ったけれど、そこまでは難しかったのか、更新はありませんでした。残念です。でも、ご本人の気分転換になったのならば、それが一番素晴らしいですよね。
その方曰く、「家にいるとどうしても仕事をしてしまうから、こうしてまとめて休みをとるようにしている」のですって。確かに、自宅で働くクリエーターは、曜日に関係なく毎日お仕事をされている方が多いようです。締め切り前なんて、お風呂も入らず睡眠もごく少量、死なないように食事だけはとっているけれど、自宅から一歩も出ないという人も見受けられます。
修羅場期間だけだとしても、なんて不健康な生活でしょう。このような生活もあるおかげで、私は素敵な作品が読めるんだと思いつつ、やっぱり心配になってしまいます。だからこそ、旅行で羽を伸ばして楽しんでいる姿を見ると、私も嬉しくなりますし、安心もできるのです。個人としては全然お付き合いがない相手なのに、まるで保護者気分になっているのが、おかしいですね。

近隣最後の書店のために

本好きの知人と、とある出版社の新刊がなかなか書店で見つけられない理由について話をしました。私より長くそのシリーズを愛している彼女曰く、置かれている期間がとても短い場合が多い、とのこと。しかも入荷する冊数も少ないのですって。だから、出版日に買いに行くくらいでないと購入は難しい、と言っていましたね。そうやって回転を早くしているということでしょうか。
でも忙しい時もありますから、必ずしも、発売日当日に買いに行けるとは限らないのが、大人の辛いところです。そうなるとつい、インターネットで購入、ということになってしまいます。もちろんそれもいいのですよ。ただ最近、近所の書店が続けて閉鎖してしまったので、地元にお金を落としたいなあと考えたりもするのです。私は夢中になると、それだけを集めてしまうタイプなので……どうしたものでしょうね。
と、そこまで考えて、はたと気付きました。事前に予約をすればいいのですよね。買いたい人がいるとわかれば、お店も、その分をとって置いてくれるでしょう。よし、今度からそうしよう!と思い至り、気分がいっきに明るくなりました。何十分もかけずに行ける、最後の砦。ぜひ、生き残ってほしいのです。

サイト管理人さんのデビュー

お気に入りのオンライン漫画があるのですが、そのサイトがそろそろ閉じられると話を聞き、ショックを受けています。その作家さんが本格的にデビューした時から、いつかこの個人サイトはなくなってしまうかもしれない、とは思っていたのですが……さすがに、本業の方が忙しくなってしまっては、仕方がないですよね。今まで楽しませてもらったことを感謝しつつ、商業作品を応援していきましょう。
しかし、デビュー前から応援していた方がだんだん有名になっていく様子を見るのは、やはり嬉しいものです。友達に「この人、私ずっと前から知ってるんだよ」とか自慢したくなってしまいます。もちろん、そんなことはしませんけどね。今の作品を見て、気に入ってくれたら、それがなにより。紹介はしますが、あまり深くは語らないようにしています。好きになるものは、友人自身に決めて欲しいからです。
思えば私がその方を知ったのは、暇な時間を持て余し、ネット三昧をしていた頃でした。どんないきさつでたどり着いたかはもう覚えていないのですが、そのサイトを見つけてすぐに、お気に入り登録したのは確かです。パソコンを変える度、登録し直して早……何年でしょう。まだまだこれからも、応援していきますよ。

おばと私の一押し作家

先日親戚のおばが遊びに来た時のことです。読書家の彼女は、いつも私の書棚を眺めていくのですが、この日は驚きましたね。ある一冊を指さして「この作家!いいよね!」と言うのです。今までお互いの好みのジャンルが被ったこともない私達は、当然作家の興味が重なったこともありません。それなのに、この時はズバリ一致したのです。
私が最近知ったばかりのその人を、おばはだいぶ前から追っていたとのことで、部屋にはずらりと作品が並んでいるのだとか。なんて羨ましいのでしょう。ぜひ読みに行きたいところですが、なにせ自宅は、電車で数時間の距離。しかし彼女は「今度車で来る時に、持ってきてあげるね」と約束してくれました。お互いの都合もありますから、今度がいつかはわからないけれど、とても楽しみです。
とりあえず今は、私が読了した作品の中に、気になっているけれど買ってない新刊がある、ということだったので、その本についておもいっきり感想を伝えておきました。だって私がその作家さんにはまったのは、それがきっかけだったのですもの。お小遣いは有限で、新刊を買うので精一杯の私にとって、長年本を集め続けているおばは、いつだって強い味方です。感想を伝えるくらいなら、一生懸命がんばります。

読書どころではない不安

友人は先日、家人の付き添いで、総合病院に行ったそうです。彼女はどこに行くのにも、小説を持ち歩く人。もちろん、隙間時間に読書ができることを狙っているのです。しかしその時ばかりは、待ち時間がたくさんあるにも関わらず、とても本のページをめくる気持ちにはなれなかったと言っていました。曰く「検査結果が心配で、それどころではなかった」のですって。
なんでも家の人は、個人クリニックに行ったところ「ここでは診れないから、大きな病院に行って」と紹介状を貰ったのだそうです。初めての場所で、今までやったこともないような検査をたくさんする家族。広い場所で迷わないように気を付けて、一緒に廊下を歩きながら、あるいは長椅子で、検査室に入った家族を待ちながら、自分の心臓も常にドキドキしていたと言っていました。でも、そんな不安を見せるわけにはいかないので、必死に内頬をに力を入れて、真顔を見せていたのだとか。
私が話を聞いた時には、すでに諸々の結果は出ていて、命にかかわる病ではないことはわかっていました。しかしそれまでの間は、本当にさぞ大変だったことでしょう。いつもなら心を落ち着けてくれる読書が、できないほどの動揺。それを経験し乗り越えた彼女を、尊敬します。

資格試験の学びの前に

もうだいぶ前のことですが、友達に借りた資格試験の関連本に、びっしりと書きこみがしてありました。それを見て思いだしたのは、学生時代に使っていた教科書です。英語とか、訳を書きこんでいたんですよね。ただし彼女の物に書かれていたのは、当然日本語訳などではなく、内容を読んで気付いたことのようでした。こんなに文字があったら、本文を読むのが大変なんじゃないかしら、と心配になるくらいの分量。どうやら友人は、とても熱心に勉強したようです。
私も彼女に負けないよう、そして試験に合格できるよう、一生懸命頑張らないといけません。その後、借りた物を読み込むこと数日間、私はやっとステップアップして、もうちょっと難しいテキストを購入しました。実は借りたのは、初心者より前の人が読む、諸学のための導入編だったのです。
勉強の前に勉強しなければいけないというのは、なんとも切ないことですが、それだけ初歩の知識が不足しているのですから、しかたありません。それに今は合格している友人もこの段階から始めたと思えば、落ち込む理由はないのです。まずは一歩、前に進みましたしね……ということで、本格的な学習をスタートしましょうか。目指せ一発合格、です。

ひとりくつろぐ老婦人

先日出掛けたカフェで、美しい老婦人を見ました。いかにも上品な丈の短いジャケットにロングスカートを着た彼女は、隅の席でコーヒーを飲みながら、文庫本を読んでいました。若者がいっぱいの店内です。誰かと待ち合わせかしら。それともここのコーヒーを飲みに来たのかな。美味しいって有名だから、気持ちはわからなくもないな、と想像は広がります。
私はココアを飲みながら、失礼かと思いつつも、婦人を観察し続け……気付いたのです。彼女の持っている布製のポーチと、ブックカバーに、お揃いの記事が使われていることに。お手製でしょうか。それともセット購入?薄い紫の布地に、小さな花の刺繍が施されたそれは、ずいぶん手がかかっていそうに見えました。あんな綺麗なものを愛用できるなんて、羨ましい限りです。
それから十五分ほどたった頃でしょうか。ついに老婦人が立ち上がりました。そうか、ひとりでくつろぎに来たのかと納得していたら「おばあちゃん、待った?」と聞こえる子供の声。お孫さんと待ち合わせだったのですね。いかにも悪戯盛りの年齢の男の子が、おばあちゃんに抱き付きます。その時の彼女の顔は満面の笑みで、読書中の静けさはなくなっていました。ずいぶんと素敵なものを見せていただきました。

店舗それぞれブックカバー

書店のレジで「文庫本にカバーをおかけしますか」と聞かれて断ったら「ありがとうございます」と言われました。以前はつけることが当たり前のようになっていましたが、いったいいつからこう変わったのでしょう。私は基本的に、汚れなどほとんど気にせずそのまま読むで、お店の物は必要ありません。しかし同行の友人は、購入した物すべてにしっかりつけてもらっていました。
省エネという意味では、おそらく断ったほうがいいのでしょうね。でもあのカバーって、本当はとても面白いのですよ。なにせ、店によってデザインが違いますから。かつて祖父は、それを何十枚も集めて楽しんでいました。子供の頃の話ですが、父が遊びに行くと、絶対に遠くの本屋に連れて行ってと言うんですよ。もちろんカバーのためです。他には、他県に住んでいる親戚が尋ねてきたときに、そちらの店のものを分けてもらっていたこともありました。
他には、古い切符やちょうちん、扇子などもコレクションしていましたね。紙の物が好きだったのかしら。ちなみにそれは祖父がなくなった時にそっくり、伯父さんが貰って行きました。今もきっと、リビングを飾っていることでしょう。

彼女が落語にはまった理由

友人が、落語を好きになりました。友達の付き合いで寄席に行ったのがきっかけだそうです。大きな装置があるわけでもなく、舞台に一人現れた着物の男性が、話しひとつで皆を笑わせる姿が、とても印象的だったのですって。さすがに有名な方となればチケットをとるのは大変ですが、趣味でやっている方を含めれば、毎月いろいろなところで、寄席は行われています。今はそれを調べて、近隣を熱心に通っているのだそうです。
ちなみに著名な落語家さんのCDも揃えたそうですよ。音楽には全く興味のない彼女が、そのために携帯の音楽プレイヤーを買ったというのですから、驚きです。それを毎日通勤しながら聞いていると、仕事で嫌なことがあっても、どうでもよくなってしまうと言っていました。
これほどまでに夢中になれるものがあるというのは、なんて幸せなんでしょう。私は本を愛していますけれど、ここまで一途になったことは、最近はないような気がします。だって、嫌なことがどうでもよくなるなんて、すごいですよ。私の場合は、落ち込んだ気持ちが明るくなる話はあっても、怒りが飛ぶものはありません。私もいつか、彼女ほどにはまれる作品に出会えたらいいなあと、心の底から思いました。

結婚の先にあるもの

少し前、知人女性が結婚しました。花嫁さんというのは、どうして皆美しいんでしょうね。白いドレスに身を包んだ彼女は、まるでどこかの国のお姫様のように見えました。親戚らしい小さな女の子が、くっついて離れなかった理由もわかります。きっと「私もこんなきらきらのドレスが着たい」と思っていたのでしょう。その子もピンク色の洋服を着て、とても愛らしかったのです。
しかしこうして知り合いの式に出る度に、私はこれがゴールではないのだよなあ、としみじみと思います。たとえば「昔々あるところに」で始まるお話の多くは「そして王子様とお姫様は結婚して、幸せに暮らしました」といったふうに終わるものが多いです。もちろん子供の頃は、それを信じていました。でも結婚生活の後には、子育てがあったり親の介護があったりと、難関はまだまだやってきます。むしろ式の当日が、幸福の絶頂じゃないのかと感じるほどです。
ただ私は、その後に続く話の方が好きだったりするのですよね。たとえば日々の生活を描いた日常エッセイは、恋愛小説よりもよほど親しみが持てます。恋が萌える幸せだとしたら、生活はたゆたう幸せ、と言いたいかな。時折は荒れる水の流れに、それでも身を任せ、家族とともにある……憧れです。