資格試験の学びの前に

もうだいぶ前のことですが、友達に借りた資格試験の関連本に、びっしりと書きこみがしてありました。それを見て思いだしたのは、学生時代に使っていた教科書です。英語とか、訳を書きこんでいたんですよね。ただし彼女の物に書かれていたのは、当然日本語訳などではなく、内容を読んで気付いたことのようでした。こんなに文字があったら、本文を読むのが大変なんじゃないかしら、と心配になるくらいの分量。どうやら友人は、とても熱心に勉強したようです。
私も彼女に負けないよう、そして試験に合格できるよう、一生懸命頑張らないといけません。その後、借りた物を読み込むこと数日間、私はやっとステップアップして、もうちょっと難しいテキストを購入しました。実は借りたのは、初心者より前の人が読む、諸学のための導入編だったのです。
勉強の前に勉強しなければいけないというのは、なんとも切ないことですが、それだけ初歩の知識が不足しているのですから、しかたありません。それに今は合格している友人もこの段階から始めたと思えば、落ち込む理由はないのです。まずは一歩、前に進みましたしね……ということで、本格的な学習をスタートしましょうか。目指せ一発合格、です。

ひとりくつろぐ老婦人

先日出掛けたカフェで、美しい老婦人を見ました。いかにも上品な丈の短いジャケットにロングスカートを着た彼女は、隅の席でコーヒーを飲みながら、文庫本を読んでいました。若者がいっぱいの店内です。誰かと待ち合わせかしら。それともここのコーヒーを飲みに来たのかな。美味しいって有名だから、気持ちはわからなくもないな、と想像は広がります。
私はココアを飲みながら、失礼かと思いつつも、婦人を観察し続け……気付いたのです。彼女の持っている布製のポーチと、ブックカバーに、お揃いの記事が使われていることに。お手製でしょうか。それともセット購入?薄い紫の布地に、小さな花の刺繍が施されたそれは、ずいぶん手がかかっていそうに見えました。あんな綺麗なものを愛用できるなんて、羨ましい限りです。
それから十五分ほどたった頃でしょうか。ついに老婦人が立ち上がりました。そうか、ひとりでくつろぎに来たのかと納得していたら「おばあちゃん、待った?」と聞こえる子供の声。お孫さんと待ち合わせだったのですね。いかにも悪戯盛りの年齢の男の子が、おばあちゃんに抱き付きます。その時の彼女の顔は満面の笑みで、読書中の静けさはなくなっていました。ずいぶんと素敵なものを見せていただきました。

店舗それぞれブックカバー

書店のレジで「文庫本にカバーをおかけしますか」と聞かれて断ったら「ありがとうございます」と言われました。以前はつけることが当たり前のようになっていましたが、いったいいつからこう変わったのでしょう。私は基本的に、汚れなどほとんど気にせずそのまま読むで、お店の物は必要ありません。しかし同行の友人は、購入した物すべてにしっかりつけてもらっていました。
省エネという意味では、おそらく断ったほうがいいのでしょうね。でもあのカバーって、本当はとても面白いのですよ。なにせ、店によってデザインが違いますから。かつて祖父は、それを何十枚も集めて楽しんでいました。子供の頃の話ですが、父が遊びに行くと、絶対に遠くの本屋に連れて行ってと言うんですよ。もちろんカバーのためです。他には、他県に住んでいる親戚が尋ねてきたときに、そちらの店のものを分けてもらっていたこともありました。
他には、古い切符やちょうちん、扇子などもコレクションしていましたね。紙の物が好きだったのかしら。ちなみにそれは祖父がなくなった時にそっくり、伯父さんが貰って行きました。今もきっと、リビングを飾っていることでしょう。

彼女が落語にはまった理由

友人が、落語を好きになりました。友達の付き合いで寄席に行ったのがきっかけだそうです。大きな装置があるわけでもなく、舞台に一人現れた着物の男性が、話しひとつで皆を笑わせる姿が、とても印象的だったのですって。さすがに有名な方となればチケットをとるのは大変ですが、趣味でやっている方を含めれば、毎月いろいろなところで、寄席は行われています。今はそれを調べて、近隣を熱心に通っているのだそうです。
ちなみに著名な落語家さんのCDも揃えたそうですよ。音楽には全く興味のない彼女が、そのために携帯の音楽プレイヤーを買ったというのですから、驚きです。それを毎日通勤しながら聞いていると、仕事で嫌なことがあっても、どうでもよくなってしまうと言っていました。
これほどまでに夢中になれるものがあるというのは、なんて幸せなんでしょう。私は本を愛していますけれど、ここまで一途になったことは、最近はないような気がします。だって、嫌なことがどうでもよくなるなんて、すごいですよ。私の場合は、落ち込んだ気持ちが明るくなる話はあっても、怒りが飛ぶものはありません。私もいつか、彼女ほどにはまれる作品に出会えたらいいなあと、心の底から思いました。

結婚の先にあるもの

少し前、知人女性が結婚しました。花嫁さんというのは、どうして皆美しいんでしょうね。白いドレスに身を包んだ彼女は、まるでどこかの国のお姫様のように見えました。親戚らしい小さな女の子が、くっついて離れなかった理由もわかります。きっと「私もこんなきらきらのドレスが着たい」と思っていたのでしょう。その子もピンク色の洋服を着て、とても愛らしかったのです。
しかしこうして知り合いの式に出る度に、私はこれがゴールではないのだよなあ、としみじみと思います。たとえば「昔々あるところに」で始まるお話の多くは「そして王子様とお姫様は結婚して、幸せに暮らしました」といったふうに終わるものが多いです。もちろん子供の頃は、それを信じていました。でも結婚生活の後には、子育てがあったり親の介護があったりと、難関はまだまだやってきます。むしろ式の当日が、幸福の絶頂じゃないのかと感じるほどです。
ただ私は、その後に続く話の方が好きだったりするのですよね。たとえば日々の生活を描いた日常エッセイは、恋愛小説よりもよほど親しみが持てます。恋が萌える幸せだとしたら、生活はたゆたう幸せ、と言いたいかな。時折は荒れる水の流れに、それでも身を任せ、家族とともにある……憧れです。

読書で心洗われる時

ふと、私が初めて感涙した本は何だろうなあ、と考えています。子供の頃は、それほど涙は流しませんでした。たぶん学生時代も、面白いとわくわくする気持ちが先に立っていたでしょう。しかし今は、何気ない日常の場面でも、目頭が熱くなってしまうことがあるんですよね。これが年齢を重ねるということでしょうか。
最近一番泣いたのは、家族の食事のシーンでした。普通に食卓を囲んでいて、特に嬉しいことも悲しいこともない、淡々とした時間です。前後で悲しいストーリーがあるわけでもないのに、とても感動してしまって……もしかしたら私、疲れているのかもしれませんね。ここは一度、ぜったいに笑えるコメディ路線の漫画を手に取るべきでしょうか。
ただ、どんな感情にしても、本から感じとることができる、というのは素晴らしいと思います。だって泣けば心が洗われた気がしますし、笑えば活力が生まれます。怒りや悲しみはたいていその場限り、その後の山場のシーンへの途中のことが多いので、最終的には感動や喜びに変わりますからね。深く考える必要は、あまりありません。ひとりの時にこそ、読書で気持ちを発散させて、皆の前では、いつでも落ち着いた自分でいられるのが理想です。

求める出会いは偶然と必然

冬から春、夏から秋へと季節が変わる頃、友人はたいてい不調になります。今までは特に深く考えず、季節の変わり目だから仕方ないのだろうと思っていたのですが、これは不安定な気候によって、自律神経が乱れてしまうことが原因らしいですね。どうりで、毎日不具合が出る部位が変わると思っていました。
ちなみにこれは、インターネットをぼんやり眺めていた時に、見つけた記事です。時間泥棒のネットサーフィンですが、偶然面白いことや興味深い話題を見られると、嬉しくなりますね。先日は「食べ物、エッセイ」で検索して、お勧めのエッセイの情報を集めました。明日の食事は何にしようとレシピ本を眺めていたら、不意に読みたくなったのです。
うちにある方の新刊を探して買えば、面白いのは間違いないのですが、新しい味を読んでみたかったのですよね。あれこれ情報を集めているつもりでも、やっぱり好みは偏りますから、こうして時々、意識して違うものを求めるのも大切だと思っています。近々友達に会う約束をしているので、その時に「最近面白い本読んだ?」と聞いてみるのもいいですね。自律神経はストレスとも関係しているらしいので、素敵な作品に出会えれば、一年中いつでも幸せで、元気でいられるかもしれません。

電子書籍、読まずに学んだのは我慢

近所のスーパーで、ビンゴになっているスタンプを集めてどこかのラインを揃えると、該当のものが貰えるというキャンペーンをする時があります。「ここのマスを揃えたい」と思ったら、そのスタンプが貰える日にちに、お店を訪れなければいけないわけです。これは簡単なようで案外難しく、いつもつい、真剣に予定を組んでしまいます。そんなことが先日、電子書籍サイトでも起こりました。
そこも同じようにスタンプを集めるのですが、これがなかなか曲者なのですよ。サイトを見る時間を作るのが、ではありません。そのページを見るとつい新刊をチェックしてしまい、予定にはなかった本を購入してしまうのです。もちろん、運営側はそれが狙いなのでしょう。しかしお小遣いが有限の私からすれば、なかなかに大変な問題です。
もちろん、買ったらしっかり楽しめますから、それはそれでいいのですが、その後の暮らしが……と考えると、思わずため息も漏れそうです。要は自制心のない自分がいけないということですね。これを機に、生活は節約を、心は我慢を覚えましょう。電子書籍のサイトで、まさかこんなことを学ぶ事になろうとは思いませんでした。なんでも自分の糧、勉強になりますね。

自宅の衣装で華やぐ心

この間おもちゃ屋さんで、子供のコスプレ衣装が売られていました。魔法少女やお姫様のものです。このような服を着るのはハロウィンくらいじゃないのかしら、と思いがちですが、お店には年中ありますから、たぶん誕生日などにも使用するのでしょうね。大人がパーティーグッズではしゃぐのと、同じかもしれません。
ただ、私達の場合は、どうしても恥ずかしさが先に立ちます。たとえばテレビに出ている女優さんの服装がとても素敵で、どこのブランドのものかわかっていても「でも一緒のものを買ったからといって、あの人みたいに似あうわけじゃないし」なんて考えて、結局着ない人はたくさんいるでしょう。それに、お姫様や魔法少女なんて、絶対無理です。ただ私は、それっぽい格好を楽しむのはありだと思うんですよ。
憧れのキャラのイメージの色を取り入れてみたり、普段の自分なら選ばないようなタイプのパジャマを選んでみたり。いっそのこと、部屋着は年齢とか人の評価を考えない、というのもありですよね。誰に迷惑をかけるわけでもないし、それで自分が楽しく幸せになれるのならば、とても素敵なことです。ただ、宅急便が来たときなど、万が一の突然の来客時には、相当焦ることになりそうですけれども。

なりきり子供の装い

先日、友達と商店街を歩いていたら、風船で作った剣や仔犬を持って歩いている子供達がいました。何事かと思ったのですが、どうやら近くでバルーンアートの実演をやっている方がいたようです。子供の父親が、空気の入った剣でぱちぱち叩かれていたので、大変だなあと思いながら見ていたら、彼は一言「いつもよりも痛くなくていいね」と。普段はおもちゃの武器が相手なのかしら。思わず笑いそうになりました。
そういえば私の親戚の子たちも、幼少時代は保育所で、たくさんの武器を作ってきたものです。それはたとえば、新聞紙を丸めて作った刀だったり、段ボールの板に持ち手を付けた盾だったり、装備品としてくくるなら、ビニールシートにマジックで模様を描いたヒーローマントや、髪を頭のサイズに丸めた王冠もありましたね。男の子も女の子も、工作が大好きで、自宅に戻ってからは、なりきって遊んでいたものです。
やっぱり、アニメや絵本の影響で好きになるのでしょうか。ただ、節分の日の鬼のお面や、ハロウィンの時のお化けの装いは結構怖いデザインの物もあり、驚いてしまいます。子供って案外ちゃんと、まわりを見ているんですよね。その時のイメージをしっかりつかんでいるので、すごいなと思いました。