気分は高揚、体はダウン?

この間「久しぶりに予定のない休日だ」と喜んでいた友人は、なんとその日のうちに三本の映画を見たそうです。一本二時間だとしても、合計で六時間、椅子に座りっぱなしですよ。私だったら、肩はバキバキ、お尻も痛くなってしまうだろうなあ。いくら最近は座り心地が良くなっているとは言っても、私は二本が限界なのです。それでも翌日なぜか、筋肉痛になったのですが。
ただ、見ている最中は集中しているから、こういった苦痛には気付きません。エンドロールが終わり「ああ面白かった」と立ち上がろうとしたところで、体の節々がおかしくなっていることがわかるのです。曲げっぱなしだった膝がぱきん!と初めて鳴った時は、自分も年をとったなあなんて思ってしまいましたよ。そして、重くなってしまった体を引きずるようにして、館内の階段を進み、屋外へ。人気作品なら人が一杯なので無理ですけれど、そうでなければ、そこでやっと一息つく、という感じです。
あらためて文字にして見ると、なんだか自分が疲れているような気がしてきました。楽しい映画を見て気持ちは高揚していても、体が追い付かないような。これはいけませんね。もうちょっと体力をつけて、体もうきうきさせてあげなければ。

雑誌を飾るための工夫

最近、本棚の上に素敵な表紙の雑誌を立てかけて、目の保養をしています。朝起きた時にすぐ視界に入る位置なので、一日がとても気分よく始められて、これはいい案だったなあと自画自賛しているのですよ。ただ問題は、雑誌がだんだんくったりと曲がってしまうことですね。定期的に入れ替えてはいるのですが、このいびつな形状が癖になってしまったらどうしようかと少々心配でもあります。
ただそれを友人に言ったところあっさりと「補強すればいいじゃない」と言われました。硬い板をあてる、なんて。どうしてこんな簡単なことに思い至らなかったのでしょう。とりあえず家にある段ボールを雑誌サイズより少し大きく切って、下の部分を折り曲げて立てかけても倒れないように工夫したものを作ってみましたが、確かに、何もない時よりは良い感じです。あとはこれをもっと綺麗に作れば、お客さんが来た時でも、おかしなことにがならないでしょう。お金を使うのも惜しいので、早速家の中の材料を物色です。
日常生活は、こうした少しの工夫で、楽しくなっていくものだと実感しました。これはこういうもの、仕方ないと思いながらも、他にも気になっているところはたくさんあるし、自分でどうにかしてみましょうか。

私のイメージは折った鶴

細ねぎの入った卵焼きを作る時はいつも、祖母を思いだします。彼女は毎日の祖父のお弁当に、必ずその一品を入れていたからです。その他、ずいぶんと長い間本棚に並んでいるシリーズのひとつは親友の、すっかり色あせた絵本は、保育所の先生の記憶を呼び起こしますね。前者はともに先を予想し合って、競うようにして新刊を読んだ作品で、後者は、何度もお願いして読んでもらった話です。
このように何かを見て、特定の誰かを思いだすのは、その物の中にその人が生きているような気がします。日本には長く使ったものに神が宿るという、付喪神の考え方がありますけれど、それに近いような……というと、さすがにおかしいでしょうか。でもそれくらいいつも、私は彼らを連想するのです。今は会う機会が減っていたり、会えなくなったりしていますが、彼らは、今ここにいる私という人間を形作るためには、確かに必要な人達でした。
ちなみに友人の一人は、折り鶴を見ると私を連想すると言っていましたね。学生時代、お菓子の包み紙などで鶴を折って暇つぶしをする機会が多かったから、そのせいかしら。ちなみに一番小さなサイズは、飴の包み紙と同じくらいの大きさで作ったものでした。最大は、なぜか新聞紙です。

クリエーターは昼夜逆転?

先日、ライター業をしている友人が「この業界の人は、昼夜逆転の人が多い」と言っていました。そういえば、印刷会社に勤めている知人も、忙しい時期は「いったい何時から働いているの?」という感じですね。朝の七時前は、出勤時間なのか、それとも退勤前なのか……どちらだったとしても、かなり大変ではあるでしょう。
でも、ライターの彼女は子育て中のママでもあるので、本来ならば、夜は眠りたい人なのですよ。そうでなくては、昼間子供のお世話をしている最中に、眠くなってしまいます。ただ仕事の話が進むのは深夜、ということで、これまたかなり、大変な思いをしているそうです。作家さんや漫画家さんも、夜に働いているイメージですし、本当に「この業界の人は」となってしまう気持ちがわかりますね。
もちろん、朝方のクリエーターもいるでしょう。どなたか忘れてしまいましたが、とある方は、朝の四時に起きているのだとか。その時間だと余計な連絡は来ないし、外でする物音と言えば新聞配達くらいなので、とても集中できるのですって。その代り夜はとても早いので、飲み会などはどんなに頑張っても、一次会までとも言っていましたけれどもね。結局は、皆それぞれ、自分のパターンがあるということなのでしょう。

夢を生み出す作詞の心

先日、好きなアーティストの歌詞カードを眺めていて気付いたのですが、歌詞というのはとても詩に近いですよね。文章のように『これをした次の状況が、こうなっている』というような原因と結果がはっきりしているものばかりではないし、言葉選びもとても抒情的だからです。それに、これは詩とも違いますが、日本語と外国語が混ざっているものが多いのも、特徴かもしれません。
たとえば小説に突然英語が出ていたら、登場人物が外国人とか、店の看板の文字だったとか、何かしらの説明、それこそ先ほど書いた原因が必要になると思うのですよ。しかし日本語詞の中にいきなり英単語が現れても、それを何故?と感じる人はほとんどいないでしょう。これが作詞した方が音にのせるために選んだ言葉なのだと、納得するだけです。
同じように文字を羅列しているものなのに、こんなに意味が違うなんて。今まで全く気付きませんでした。そうなると、漫画の台詞やモノローグなども、よく考えれば、全く質がことなるものなのでしょうね。歌、小説、詩、漫画などなど。私にとっては何が一番ということはなく、その時々でどれを選ぶのはまさに気分任せだし、どれも感受性を刺激してくれる素敵なものたちです。

若者は未来を語るの実像

子供の頃、祖父母が若い頃の話を繰り返すのが不思議でした。私と友人達の話題と言えば、昨日見たテレビについてや、今日の授業のことに関してで、たとえば去年どこかに遊びに行ったことなどは、会話に出る機会が少なかったからです。それを祖母に言うと彼女は「あんたも年をとったらわかるよ」と笑っていました。そして今、当時の祖母ほど年齢を重ねたわけではないけれども、それをちょっと実感しています。なぜなら「昔ね」と語り出した自分の話が、それこそ子供にしたら大昔、十年くらい前の話題ということもあるからです。
以前どこかで『若者は未来を語る』という文言を見たような気がするのですが、その逆で、年を重ねた人は過去を語る、ということなのかもしれません。思い返す時期が長いから、自然とそうなるのでしょうね。そして若者は、夢見る将来がいくらもあるから、きっとそれを信じて希望を口にできるのでしょう。
もちろんこれは、一定年齢以上の人が、未来を夢見ることがないと言いたいのではないのですよ。あくまで、そういう理屈なのだろうかという想像です。その証拠に私の祖父は、毎日やりたいことがいっぱいで、それこそ子供だった私よりも忙しくしていました。

すべては写すことから始まる

多くの漫画家さんは幼い頃から絵が好きで、たいていはお気に入りの漫画家さんの絵を模写するところから、作品作りが始まることが多いようです。だから最初のうちは、憧れていた誰々さんのような雰囲気になったりもするらしいですよ。そこを超えた後に個性が生まれ、その人独自のイラストになるのだと、創作活動をしている友人が言っていました。
この話を聞いた時私は、最初は誰でも、人を真似することから始まるのだな、と納得しました。だって、私が大好きなミュージシャンも始まりは有名アーティストの楽曲をコピーしたらしいですし、小説家の方も、文体模写を経験している方がいらっしゃいます。そうでなくとも、私達はみんな親の行動を真似ることで、生活に必要ないろいろな物事を覚えていくわけです。そう考えると、憧れや尊敬という気持ちは、何より強いと言えるでしょう。
ただこのことに気付くと、先駆者と呼ばれる人たちが、いかにすごいかがわかります。目の前に追いかける人がないということ、すなわちそれは、言動を写す対象がいないということですもの。同じ意味で、業界初、なども見事なのでしょうね。前に立つものがあるにせよないにせよ、作品を作る人たちの情熱は、本当に尊敬に値します。

涙を流して心を洗おう

本を読む気にもなれず、テレビをつけても流しているだけ。それなのに気持ちがいらいらして落ち着かない時、「耳が痛くならないくらいの音量で、ヘッドフォンをして音楽を聞くと、ストレス解消になるよ」そう教えてくれたのは、友人でした。以来私は、自分が疲れているなと感じると、そのようにしています。
そうすると不思議なもので、ぼろぼろと涙がこぼれるのですよ。毎日スピーカーで聞いているのと同じ曲なのに、何か違うものを感じ取るのでしょうか。それとも、作業をしながら聞くのではなく、その曲だけに集中して、耳を傾けるというのがいいのかしら。理由はよくわかりませんが、ずいぶんすっきりできるのは確かです。
私の場合は、音楽のジャンルにはこだわらず、その時に夢中になっているものを選ぶので、フォークやジャズ、ロックなど様々です。ただ友人はバラード調がいいと言いましたし、別の子は、感情が爆発するような激しいものがいいということでした。まさに人それぞれですが、共通しているのは、皆、なぜか気付くと泣いてしまっているということ。毎日繰り返しの日常の中でも、胸に溜まるものがあるのでしょう。この方法で癒されて、また明日も頑張ることができればなあと思います。

古書から発見の定番品

久しぶりに古書店に行ったら、カウンターの横にしおりが置いてありました。いわゆる「ご自由にお取りください」というものです。おそらく、買い取りの本の中に挟まっていたものなのでしょう。出版社も新旧も様々で、ちらっと見えたものはだいぶ古そうでした。
これは確かにお店のお客さんにとっては便利だと思うのですが、私としてはちょっと残念なのですよね。古本を購入した時に「こんな懐かしいしおりが挟まっていた」「この宣伝、ずいぶん昔のものだなあ」と驚くのが楽しみでもあるからです。時には購入時のチェック漏れなのか、メモ用紙が挟まっていることもあります。一度などは、割りばしの袋が入っていましたよ。思わず笑ってしまいました。
これは自室の本棚で長く保管しているものにも、同じことが言えます。なくしたと思っていたしおりや、だいぶ昔のレシートなど。付箋が貼りっぱなしの時は、ページにすっかりくっついてしまっていて、とるのが大変でした。定番……と言えるかはわかりませんが、あってもおかしくない、へそくりの発見は、過去に一度だけありましたよ。祖父の書棚を片付けた時のことです。本当にこんなところにお金を隠すのか、とこれも笑ってしまったことを覚えています。

一番怖いホラー体験

先日、友人に勧められたホラー小説を読みました。文字だからこそ耐えられる恐ろしい描写は、私を震え上がらせるには十分で、最後はなるべく文面の内容を想像しないように、なんて考えてしまったほどですよ。これではただの、文字を追う作業ですね。後に気付いて、自分でも苦笑しました。
その点漫画は、イラストで描かれているので、否が応でも怖い場面が目に飛び込んできますよね。それはおどろおどろしい、子供が見たら泣いてしまいそうなものもあったりして、描いている方は怖くないのかなと気になることもしばしばです。ドラマなどではよく、恐怖ものを撮る時は、事前にお祓いに行くなんて話も聞きますが、書籍の場合も、そんなことがあるのかしら。
ただ私が一番怖いと思うのは、小説でも漫画でも、もちろん映像でもなく、聞き語りです。一度、ヘッドフォンをつけて怪談を聞くというのを、体験したことがあるのですよ。低い声で淡々と語られる内容は、自然と耳に入ってきますし、文字のように意識しないようにしても、効果音などの影響で、想像は勝手に膨らんでしまいます。それがとても、恐ろしく、私は結局最後まで、その話を聞くことができませんでした。ホラーなんて慣れっこだという人には、ぜひチャレンジしてほしいと思います。